2009年
10月25日 三河路 こちらが東海自然歩道の本コースであるらしい。
7:19 新大阪出発(新快速)
10:16 岐阜発(名鉄各務原線)
10:56 犬山着復帰
11:21 犬山発(名鉄広見線)
11:27 善師野着 うす曇りに陽がこもっている。
11:40 徒歩出発。なつかしい土地の駅頭は、曇り空の下に休日の寂しげなにぎわいを見せていた。人々の中に旧知の顔が見えないかと、焦がれの中に気まずさを含んで求めてみるのだった。道は複雑に曲がりくねり、東海自然歩道の標を注意しながら歩んでいく。恵那路と異なり、三河路の道は南寄りの山へと入っていく。ひと気は少なく、道は遠く感じられた。田園と家並みが少なくなると山地の樹林が両脇に迫ってくる。道は舗装路をたどる。坂道を上っていくと鞍馬教会というちょっとした規模の宗教施設の前に至る。和洋折衷の人目を惹く建物は人が居るのか居ないのか閑散としていた。そこから坂を下っていると、サイクリングの若者と出会った。挨拶の後、ザックの荷物が大きいと彼は驚いた。実際、重いと感じていた。食料と酒に贅沢をしすぎたようだ。酔いどれウォーカーの宿命か。暑かった。今井パイロット農場を通らず、ショートカットの近道を伝った。
14:50 入鹿大橋。やっとたどり着いたという気分。誘惑に負け袂の自販機で飲み物を買って飲む。辺りに人影無し。山への林道に入る。
15:50 八曾キャンプ場着。キャンプ場へ至る峠のような地点におばさん二人が店番をするキャンパー目当ての売店があった。暇そうなおばさん達とよもやま話を交わしつつ缶ビールを1本求める。キャンプ場は小川を取り込んで広く、BBQ用の小屋掛けがある。川の畔の草地の上に野営をしようとしたが、天気の行方思わしくなく、夜半に降られたらかなわないので小屋掛けの中に幕営した。豪華な食材とビール・日本酒でひとり宴会を楽しんだ。夜中にやはり降りだした。屋根から落ちる雨だれの音を夢路をたどる寝袋の中で聞く余裕が、小気味よかった。しかしこの余裕は、後の荊棘をより辛酸にさせる意趣返しになった。
10月26日
小屋掛けのおかげでテントはたいして濡れずに済んだ。濡れると如実に重くなる。雨に対する忌避反応は鍋倉山の旅以来尾を引いており、暗い気分で出発する。
6:00 キャンプ場を出発。
いきなり山道の急登となる。足元の地が緩んで歩を運びにくい。尾根への斜面を登り切ると、アップダウンが続いた。冷雨は情け容赦なく降りそそぐ。自動車道を跨ぐ陸橋を渡って、さらに登りは続く。身体の芯から湿気て寒い。気持ちがめげそうになってくる。家に帰りたい。東海自然歩道の全旅を通じて、最も気力の弱まった時かと思う。内々神社も鳥居を目にしただけで無感動に過ぎる。
8:40 内津峠展望台着。屋根があったので、大休止をし、グラノーラをかじる。身体が冷えて心細かった。天気が良ければ眺望の利く場所だと思われた。大休止のおかげで、気が落ち着く。
10:20 弥勒山(436m)。尾根道をたどるので、歩みは楽になった。折れそうになっていた気力もようやく持ち直した。
11:15 道樹山(429m)。雨は小降りになった。ポンチョを脱いで、レインハットだけで歩いたが、雨が気まぐれめいて急に強くなるので、再び身にまとう。
山を下りると里道にでたが、山へと分け入る分岐点を見落としたらしく、街道をすたこら歩んでいるうち東海自然歩道の標がいつのまにか無くなっていた。相当距離を歩いてから気づいたので引き返すのも理に合わない気がした。そのまま歩き続けたら外之原町という町に着いた。そこから東へと折れて急坂を上がり、東海自然歩道復帰を図る。長い上り坂だった。雨は小止みになったが、降り続けた。山中の峠の地点で東海自然歩道と交差した。南へと向きを変え山道をたどる。
14:20 玉野園地。常光寺駅まであと15分という山地最後の地点である。時刻は早いが疲れを感じていたので、コンクリート製の展望台のような四阿で幕営することにした。雨を避ける屋根の下で脚を休めて落ち着き、酒を飲みたかった。もみじがすぐ上の樹から落ちる雨滴に打たれて小鳥に揺り動かされるかのように上下に跳ねるのを無意味に眺めて興を得る。すぐ近くに小さな祈祷堂と庵があり、人が住んでいるらしく、夜になると奇矯な叫びをあげるので少々気味が悪かった。
この日は夕方になって小降りにはなったが、終日の雨だった。
10月27日
6:50 玉野園地出発。雨はすっきりあがっていた。
すぐに常光寺駅下に降り立ったが、寺そのものはわからず、線路は高架であり駅の下を隠れるような感じで町中へ歩む。しばらく進むと常光寺川にそって広い市民公園があらわれた。常光寺は公園の奥に位置しているらしかった。空は晴れ渡っている。朝日が一日の始まりを告げて山の峰からきらきらと射してくる。公園の柵に濡れた衣類やポンチョ、テントを掛けて干した。ついでに公衆トイレで朝の用を済ませた。しばし時をもてあそぶ。道は公園の砂利敷遊歩道から山の地道へと変わり、登りとなる。
8:25 高根山。低い山(253m)を下りると舗装路となり、労働者研修センターの建物に行き当たる。道案内にしたがって建物の横手を通り抜けると、また山道になる。大洞峠を越えると次は山星山という丘のような頂(327m)に登る。山から尾根道をだらだら歩んでいくと宮刈峠にでた。
10:40 宮刈峠(279m)。ここで、バナナを食す。バナナは柔くつぶれて期待したほどにはたいしておいしくなかった。
尾根道をたどる。下り路を谷へと下りていくと、里の稚児橋にでた。
11:30 稚児橋。そこからは山裾と一方の田畑に挟まれた里道となり、歩んでいくと蛇が洞橋にでた。手前の土手で大休止をとる。メリハリの無い道筋に足は弛緩して、どうにもモチベーションが湧かない。こののどかな道中こそ本来の自然歩道なのだと認めるにせよ、身体の方がだるくなってしまった。橋をわたって尚も里道を進む。車も時折通り過ぎる里道は長かった。山道になって丘陵の樹林の中を越えると、やや幅広い国道363に下りた。東海自然歩道のコースは道をアクロースするようだったが、目の前にバス停がある。次の目的地「岩屋堂」はもうすぐであるが、ずいぶん前から標のコース残り距離が、歩いても歩いても思うように減らないので、体調のすぐれないのに辟易していたのだ。真剣に逡巡した、進もうか、否かと。結局、離脱することにした。ほどなく来たバスに乗った。日本酒を2リットル持ってきたのがまずかったかな?それとも、端(はな)から浮世のしがらみを放しきれずにひきずって来たのか。車中から観る景色は蒼ざめて無意味に流れ過ぎった。
14:00 白岩の里離脱
14:10 バス乗車 瀬戸市へ
15:30 名古屋発快速乗車。大垣〜米原(普通)米原〜新大阪(新快速)
19:10 新大阪
2009年 11月15日
6:46 千里中央発 晴れ
9:58〜10:02 名古屋(中央線快速)
10:38〜11:07 瀬戸市。大きな町だ。先回の帰路では意識しなかった。名鉄バスで白岩へ向かうが、まちがって一つ手前のバス停「品野」に下りてしまう。もう一つ先の「上品野」で降りるべきだった。バス道を歩く。
13:55 上品野バス停。東海自然歩道に復帰、たいそうな時間を費やした。時間の速い遅いなど取るに足りないことだ。意気を挙げて出発。
14:45 岩屋堂。大小の岩が織りなすちょっとした観光地でもあるので、人々が大勢集まってにぎやかだ。気持ちが華やぐ。
岩屋堂の展望台
展望台と土産物屋や公衆トイレもある。花崗岩の間を縫うようにしてハイキングコースを進む。道は隆起を繰り返し山中を南下していく。 11月16日
5:50 テント撤収・出発 晴れ
メリハリのない曲がりくねった山中をさすらう。猿投山の登りになって、登山道らしくなった。
8:37 猿投山頂上(629m)。
頂上からの眺め
山道のゆるい登りから林道にでて急登になり、登りつめて林道を少し下り、次に山道を登っていくと頂上に達した。深山の雰囲気がある。一人の小太りな若者と出会う。彼は先に下りて行った。
猿投二宮。猿投山で出会った若者とまた会う。二言三言言葉を交わす。「さびしいけれどなんだか雰囲気のある神社ですね」とかなんとか。山奥のひと気のない寺に、なんのたれかしはくったくなく微笑んで、あたりはその時はなやいだ。
10:15 御門杉
長い林道を下る。安心して歩ける。
11月17日
5:45 テント撤収とともに降りだした。勘八牧場も雨の中にくすみ、まわりの樹木といっしょに未明の闇に沈んで形を見せなかった。雨は冷たく降った。
山を下りると里道になる。低山徘徊というには雨があだであった。成合と書いて「ならい」という里を過ぎ、蒼ざめた山村を曲がりくねりながら東の方へ歩んで行く。
6:50 千鳥寺。雨宿りのために、寺の門の下にたたずみ、休憩をとる。屋根の下では、住職なのか寺男なのか作業服の禿頭の六十男がたくさんの柿を丁寧に拭き清め一個ずつ籠に整理している。自分には目も止めず、黙々と作業をしている。不自然なほど自分を無視しそして無言なのだから、ひょっとして世を捨てた陰者かなとも思えた。自分は無論気にせず、行動食のかけらを口にして休むのだった。
舗装路を進んでいくと、山あいにひらけられた広い霊園にでた。霊園の外縁をぐるっと一めぐりしたが、それらしき東海自然歩道の分かれ道も無ければ標もない。霊園の事務所建物に人はいないかとのぞくが、入り口ガラスドアは閉まっていた。引き返していくと右手に森の中へ通じる狭い藪道があったので入っていく。ほどなく東海自然歩道の標があらわれた。暗い森の中から里道にでると明るかった。山中町の里だった。
8:15 元山中。雨の降りはひどくなった。合流した道路傍らに公民館の大きく張り出した庇屋根があったので、また雨宿りをした。今夜の宿は屋根の下でとりたかったので、道路上の電柱案内看板表示の旅館に電話をしてみる。料理旅館だった。民宿と比べて格上の値であったが素泊まりで予約を入れる。
山道を越えると巴川沿いの舗装路に出た。このまま小さな橋を渡り、左岸を伝うのが東海自然歩道であったが標を見落とし右岸を行ってしまう。車が頻繁に通ううっとおしい道だ。だんだん家が建て込み、町の中へと入っていく。予約した料理旅館の前に来る。時刻はまだ12:00前だ。早すぎるのでキャンセルの電話をいれる。
国道420号線に合流する。左岸を通っていれば、国道420に合流することなく足助大橋の袂に着いたはずだった。
11:40 香嵐渓 足助大橋。大きな観光町である。バスが何台も連なって大駐車場に停まっている。おおぜいの傘をさした観光客も雨の中をあちこちへと名所を物色するようにうごめきあっていた。観るところはたくさんあるようだった。当方は雨の中を歩き疲れてもいた。街通りの一軒の旅籠風の旅館に宿泊を頼んでみるがカードは使えないとのこと。この旅では、現金の持ち合わせが心細かったので、あきらめた。雨の中で幕営するしかなさそうだった。香嵐渓の川筋に沿って大きく北側へ蛇行しながら歩む。晴れていれば風光明美なさまを満喫できそうな川沿いの散策路だった。人影が減る。町はずれの土産物店で日本酒ワンカップビッグサイズを補給。歩き出そうとポンチョを被る段になって、背のザックに引っかかってうまく被れない。見かねた休憩中の初老の男が手伝ってくれた。多謝。こういう親切が素直にうれしかった。川は南へと転じていく。
14:00 安実京(あみきょう)。巴川に掛かる赤い欄干の橋を渡ると国道に直面し、渡ったところから山へ向くよう東海自然歩道の矢印が指し示している。細く、山の雑草に埋もれ、流れ下る雨水で滑りやすそうな直登の急勾配の道である。見るからにひるみそうだったが、急がず一歩ずつ足元を確かめゆっくりあえぎながら登った。山の樹林の中へ入っても急登は続いた。上へ上へと登っていくと上りの勾配がゆるくなり、山道は舗装した車道へと合流する。その手前下にキューピクル規模の変電施設の区画フェンス囲いがあり、前にちょっとしたテントひと張り程度の平坦地があったので、幕営することにした。雨の中急いでテントを張り、中に落ち着く。時刻は未だ早い。テントの中でやり場のない時間を過ごす。ゴアテックスのテント地を通して雨水が滴ってくる。じっと耐えて脚を休める。居眠りをする。夕食は煮炊きをせず、乾き物のチーズやビスケットで済ませた。疲れていたのか明るいうちから寝入ってしまった。
11月18日、曇り空
5:10 テント撤収・出発
朝まだき、とにかく雨があがったので意気揚々と歩む。ゆるやかな上がり下りの舗装路を進む。山あいの生活道路という規模だった。
7:20 平勝寺。道からはずれ奥まったところに建立されている。曹洞宗の古刹としてこの地方では栄えているらしい。門前まで行ってみる、折しもなにかの行事なのか子供たちの大勢が集まっていて、口々に朝の挨拶を投げてくる。田舎の子供はやはり素朴で礼儀ただしいのかなと、すなおにうれしくなる。
平勝寺の大杉
平勝寺を過ぎて1時間余り歩くと舗装が切れ山の林道となる。ずんずん登っていくと金蔵連峠に着いた。この時、空がまったき晴れた。頂上の屋根のある舞台が下から見えた時はうれしかったものだ。空は真っ青に晴れ、絶好の頂上日和だった。男女4人の先客が居て、楽しそうに飲食をしている。セルフタイマーでマイ登頂写真を撮ろうとすると、一人の女性が撮ってくれたので、それから会話が弾みだす。リンゴとカステラのおすそ分けにあずかる。ありがたかった。昨夜来、まともなものを口にしていないので、このごちそうは一食の食事として体内にしみとおった。彼らは先に段戸湖の方へと下りて行った。私は、2度目の頂上ということもあり、しばらく余韻にひたった。