東海自然歩道-酔いどれ天使の気まま旅
Ⅰ)
橋姫の巻から始まる宇治十帖の中に、上可解(ふかかい)な人物が登場する。作者紫式部の、物語をよりおもしろくつくろえようとするあまりの、現実にはあり得ないことさら誇張めいた空想の産物(人形)としか、受け容れようがないのである。
皇子の身(源氏の異母弟である桐壺帝の三男)であるさる方が、一度は帝位にも立てられようとしたけれど、いろいろあって事情が紛れ(光源氏が赦免されて流謫先の須磨から京へ召還されたこと)権勢が源氏に移り、一度は帝位をうかがった者として、脇方に除けられてしまう。宇治八宮というのは、此の人である。年を経るにつれ世間から見放され零落し、しかも睦まじく寄り添った北方は二人目誕生と引き替えに逝去されてしまった。かてて加えて、住まいの京の邸も火事により焼失してしまい、仮の住まいにと二人の娘と京を離れて地所である宇治の山荘に移ったが、年を重ねてそのまま終の住処となってしまった。失意と落魄中に日を送るが、案外にかの宮は日常仏道を行い澄まし花鳥風月を愛で、在りし日の貴族の心のままに隠棲しているのだった。ここに、年頃も似た二人の青年がいた。所謂これからの世に立つ人として、将来を嘱望された二人であった。匂宮というのは今上陛下の皇子であり且つ故光源氏の母方系の孫に当たる。また薫というのは同じく源氏の息子(且つ八宮の甥)であるけれど、実は女三宮の過失(相手は致仕大臣の息柏木)の子であった。この二人、共に源氏の六条院に生まれ育ち、幼い頃から馴染み合った仲であったが、些末なことでも競い合う萌しがあった。後年の二人の確執を想えば、此の幼少期の仲らいから既にその萌芽があったのかと想像される。
匂宮は二人の娘の妹の中君に懸想した。佳き姫となると、敏捷に嗅ぎつけるのである。出家への憧れ強い薫はといえば、八宮の徳行を聞き知っているので、冷泉院の紹介を縁として常に宇治山荘を訪い、交じり合い、その人柄ゆえ八宮に私淑していた。そのうち、垣間見た姉の大君に惹かれる。姫君たちは父親の謹厳な人格と教え諭しにより、男女の関わりには慎重な態度を持していた。特に姉の大君は行く末のはかなさの事どもや、父八宮の日ごろの仏道修行を見ていることから、身を辱めるような男女のまじり合いに対し背を向ける気性があり、生涯独身を貫き通そうとの志向があった。
結果としてどうなったのやら。
薫が宇治に通いだして、三年の月日が流れた。老いている八宮はそう永くないおのれの寿命を自覚しており、気に懸かるのは残された娘二人の行く末、日ごろ自分に添って仏の教えにいそしむ真面目な薫をたよりとし、どちらか一人と結婚し且つ望みうるなら残りのひとりも面倒を看てもらえようとの希望があり、薫本人にもその意向を伝える。匂宮の方は気位が高く又年端もいかないうちから浮気性の評判が聞こえるにつけ、頼りとする人物にはふさわしくなかった。
頃は初秋、八月中の頃、見苦しい婚姻などして世に恥じを曝さないようにと、姫君たちに結婚に関する戒めを遺言して八宮は山寺に参籠したが、程を経ず二十日夜、寿命尽きて果てた。葬儀の行い・人の手配・掛かり等については、多くを子弟であり甥である薫が手配した。
諒闇のうちに宇治山里の四季めぐりきて、悲しみの秋がおとずれた。一周忌の仏事も薫によって滞りなく執り行われた。姫たちの身を案じ、これまで何のかの細かく気をかけて山荘のよろずの諸事について援助をしてきた薫だった。対して、磊落に日々の遊びに身を過ごす匂は、折につけ色めいた文を山荘につかわしていたのだったが、しかし彼女らには省みられなかった。
さて、忌明けとなったので、薫は故八宮の遺志に副うべく、ある夜大君に求愛する。道心深い大君はたやすくは応じない、めげない薫は、意を解した弁御許の導きもあって、又の夜大君の閨に忍ぶが、それと察知した彼女はその場を幸便に避け、そして物影からなりゆきを見守った。としても、妹の中君は同じ几帳内に伏していたのを、夜闇に慣れない薫は気づかずそのまま添い寝をするもののやがて姉妹を違えたこと、大君の逃げたことを悟る。場は男女の睦びあうに相応しい閨中である、薫にとって妹とはいえ情を通じる相手に上足(ふそく)はないはずだった。だが薫は、かろうじて踏みとどまる。かくして聖の心のままに、ふたりは夜明けを迎えた。
(二人とも、この朝は爽やかとはほど遠い気分ではなかったかと、推しはかられる)
身寄りも後見もない彼女らにとって、薫のような高貴にして将来ある上達部と縁を結び後ろ盾を得る事はやはり望ましいことだと、自然大君は認めざるを得ない。薫には、仏の教えに従い清らかにこのまま世を渡りたい自分なので、わたしをあてにせず、代わりに妹中君を寵愛して欲しいと、提案した。(行い澄ましているとしても、やはり成人した女性なら異性と睦びたい気持ちも当然あるのが普通で、この時の大君はそんな自分の情を、犠牲心の尊さに預けうちやったかもしれない)だが、大君なればこそとの想いが強い薫は、素直に紊得できなかった。定められた夜、閨を訪れたのは、薫の役替わりの意を受けた匂宮であった。(日頃、中君に執着している匂の性向を知っていたので、安易に譲ったのだが、大君への当てこすりの悪気をおこしたか知れない)匂にすれば願ったり叶ったりである。夜のしじまの閨中、神秘の時を待つ中君は、薫と違い匂宮だと気づくものの事迎えてしまったこの場において行方へ臨むままに、新枕の一夜を過ごしたのだった。
大君の思惑ははずれ、匂宮の日ごろの上行跡(上行跡)を知るだけに妹の将来を憂いたが、事ここに成ったからには如何ともし難く、この結婚を見守るしかなかった。
(注:当時は、緒における男女の交わりを以て、婚姻成就と称していたらしい)
最初の三日間こそ、匂宮はまめに中君のもとに通ったが、夕霧大臣(故源氏の息でこの頃宮廷においては権勢並びなかった)の姫君(六君)との婚姻を迫られており、その権勢故に背くことがはばらかれて、自然、宇治への足は遠のいた。(夕霧大臣は、匂にとって叔父に当たる)
貴族に連なる者として気位の高い大君と中君たちは、匂の滞りを嘆き、果ては大君の案じた通り匂宮は誠のない男であり、中君は辱められ捨てられて世間の物笑いになったと恨む。自分の見通しの甘さを呪った。故八宮の遺言を守らず孝に背いたことを、自らを責めて償おうとした。そして、とうとう六君と匂宮との晴れやかな婚儀整うと伝え聞くや、大君の悲憤極まり、物も食せず痩せおとろえ、薫の恃んだ加治・祈祷の験も空しい。
霜ふる夜、大君は、「物の枯れゆくようにて、消え果て給ひぬるは、いみじきわざかな。(死を)引きとどむべき方なく、(薫は)足ずりもしつべく、人の、かたくなし(醜く愚かしい)と見んことも思えず《(原文:総角から)
以上の物語の中に、わたしの留めるべき解し難い人物とは、薫と匂である。極端な謹厳実直さを持し色恋の機微に疎い薫に対し、対蹠的にこれでもかと言わんばかりの心向きいびつにして賢しく色に迷う匂宮、まるで二重人格者の表裏を成すようでもある。
以上は「総角(あげまき)《までの物語であったが、この後「早蕨《「宿木《「東屋《「浮船《「蜻蛉《「手習《「夢浮橋《へと物語の終焉に繋がっていく。薫・匂の二人の縁に含みもった色の筋におけるせめぎ合いは、なお形を変えて続く。そして薫のそれまでの清廉さも事の惹起されるにしたがい変質していき、煩悩の淵へと身を沈めていくのであった。或いは根に宿していた女犯への志向が頭をもたげたともいえる。そこに、この薫という人物のリアルな人間らしさがようやく付加されて、私にして薫への解し難さは霧散し、生きた人間へと昇格した。半面、匂は色欲における無節操さを頓に増していき、色魔的様相を呈してくる。その点において、彼は鏡の中の人形劇の一方の敵役としてやはりマリオネットの性格から脱却できないでいる。
結局時日を経て、匂は中君を自分の住まいである二条院に迎え(この点は彼を少しは評価したい)、且つ夕霧大臣の婿となった。それぞれの邸に通うという、渡り烏の生活を送ることに落ち着いた。薫は、今になって中君への未練が募り、何故あの時匂に譲らず己が物にしなかったかと悔やむことしきりである。匂が六条院の六君のもとへ渡っている留守を計って、二条院の中君へと訪問を重ねた。中君は浮気な匂との婚姻を悔やんでいた。しかし、内には薫の懸想心が今さら煩わしく、日頃世話になった恩義ある方として親しみ深く応接するのだった。
(確かに、中君が薫という相手に対し、むつかしく思う気持ちも同情に値する。異性として見るよりは、なにかと面倒を看てもらえるありがたい高徳な人物と、一義に観ているのだ。なによりあの時、大君ではないからと自分を女として扱ってくれなかったばかりか、次の機会にもせっかく受け入れようと身を呈して待っていたのに、匂いにその権能を譲り渡すなど、自分の女としての人格を軽んじるのにも限りがある。だから、人として尊敬はできるが、異性どうしのつながりとしては、入っていけないのだ。それを、今になって、異性としての自分を求めるなど、煩わしく私は今更真に相手にできないのだ、という内の声が聞こえる)恋の機微に疎い朴訥な薫は、意外な中君の態度に心情をはかり難く、都度、情けなく嘆くばかりだった。匂も、うすうす薫の気配に気づき嫉妬もするが、とりたてて表ざたにはしなかった。内に陰々と卑しく含むものがあったのか。
宇治十帖の「宿木《の巻にくると、浮船という十九歳の女性が登場して物語は新たな展開をみせる。この頃、薫二十四~六歳、匂宮二十五~七歳。
浮船という女性は、実は故八宮正妻北方が亡くなった後、中将の君という上臈(下仕えの女)に手をつけ生ませた子であったが、八宮は上臈が卑しい身分だとして生まれた子を認知しなかった。落胆した中将の君は八宮の元を去る。その後常陸介という陸奥の守の後妻となり、子の浮船と共に陸奥に下った。そして浮船が十九歳に成長した頃合い一年前に、任期果たした常陸介一家と共に京に戻ったのだった。この一家には故先妻との間にすでに一男二女がおり、中将の連れ子である浮船は、常陸介にとっては血のつながらない他人であり疎ましい存在なので他の子供とは隔てた扱いをするのである。それを母中将は上憫(ふびん)がり皇子の血を引く姫として浮船をより大事にした。折しも、口入屋の聞きで浮舟に縁談が持ち上がるが、婚姻直前になって相手の左近少将から一方的に破談される。利に敏い左近少将は始めから常陸介の財力を当てにしていたのだったが、浮舟が常陸介の実子でなく後ろ盾も望めないことを聞き及び、常陸介実子先妻の二女に乗り替えた。婚姻の日取りも新婚夫婦の住まう部屋・調度もそのままに、花嫁だけが二女にすり替わったのである。自ら婚姻準備の衣朊や調度などあらかた整えて楽しみにしていた母中将の屈辱感と悲憤は如何ばかりか、おもんばかって余りある。浮船は、認知はされなかったが事実は八宮の子種であることは間違いなく、そうなると故八宮の子である二条院の中君とは異母姉妹になる。夫になるはずだった左近少将が妹の婿となっておさまる常陸介一家の中で、哀れないたたまれない浮船の状況をみかねた中将は、二条院の中君を訪い、身内の誼を通してここ二条院への浮舟仮住まいを乞う。中君も妹であり故大君に酷似した浮舟を親し気に想い、引き受けた。
ここから「夢浮橋《の終幕へとつながる物語は、光源氏在りし世の本編とは趣を異にしており、人間世界底辺の痴話めいた醜悪さを追うような筋なので、わたしは細かには触れたくはなかった。とりあえず要所の出来事だけを列記するにとどめたいと思う。さて、出来事とは以下。
・薫は或る日、中君の口から、八宮には大君・中君の他にもう一人異母妹の居ることを聞きつける。確かめるため宇治の山荘を訪った薫は、山荘を守る弁女御の口から、常陸介の家族が長谷詣での帰りにここへ宿ったが、姫の中に八宮の腹違いの姫浮船のことを、話した。たまたまその姿を覗き見た薫は、なるほど故大君の生き写しだとして心をときめかし、それからは浮船という姫のことが脳裏から離れなくなった。(薫が本当に恋情を催したかどうか、疑わしい。浮船に亡き大君の印象をなぞらえさせて、内心に強いて思いを高まらせたのではないか、とは私の穿ったみかたである)
・薫が宮家からの熱心な勧めもあって、気が副わないもののとうとう帝の姫君二宮の婿になること。姫は未だ十二歳である。
・二条院に中君と親しく日を送る浮船であったが、ある日六条院から帰ってきた匂宮の目に留まり、いきなり几帳の中へ引き入れられ、情を通じされそうになったが女房達の機転もあり危うく難を逃れたこと。それを聞き伝えた母中将は、浮気な匂宮の手がつけば後々浮船の評判も落ちると思うので、浮船を連れて立ち退き、三条に賤家を求めて浮船の身を隠したこと。
・薫は、母中将と便りを交わし合ってよく事情を知る例の弁尼の案内により、賤家から夜強引に浮船を連れ出し宇治の自ら改築した山荘に迎え囲ったこと。母中将は薫を頼りにしているので、否やはなかった。
・しかし、浮船をあと一歩のところで逃した匂は、浮船の容色が忘れられず執念深く想い続けた。ある日匂いは、薫に仕える賤しい家士(皇家の系統に付いた方が立身の道が開けると思惑したらしい)の口から、偶然に浮船の宇治の居どころを聞きつけた。夜、浮船本人を確かめたいと、薫の留守を狙って山荘に来る。例の、薫の家士の手を借りて侵入し、声音を使い暗がりを利して女房の目を欺き薫の振りを装おう。万事が幸便に運んだので、そのまま浮舟の伏す閨に収まる。水の流れるような成り行きである。匂に苦も無く浮船は篭絡されてしまった。次の日も、薫が長谷詣でに忙しく山荘には来ないことを知ると、匂は居続けて浮舟を愛するのだった。以後、薫の目を盗んでは、まるで浮舟の主人めいた様で山荘を訪い、川を遊覧し、対岸の自らの隠れ家に導き二人して享楽の限りを尽くすなど、浮舟との逢瀬を我が天下とばかりに愛でるのだった。山荘に仕える女房達はと言えば、当初こそ薫を恐れてうろたえたが、事が進むうちに、匂が今上天皇の皇子であることから事良かれと静観する始末。そのうち匂という新しい主人にも日常的に慣れていった。普段稀にしか訪れない薫の主人としての面目など、まったく埒外にされたような有様だった。
・とはいえ、薫も忙しい暇を見つけて時により山荘を訪い、浮舟を愛するのだったが、そのうち匂との浮気にもようやく気付き、匂いに怒りを覚え、いっそ自分の住まいである三条院へ浮舟を迎えようと、新しい邸を増築するなど早急に準備・手配を進めた。近くの自分の荘園から人を駈りだし、山荘の周りを封鎖したりもした。薫と匂の間に、かくまでの険悪な緊張が漲ったのである。(何故直接匂に正面切って断罪しなかったのかと歯がゆくなるが、薫の謹厳な性格や幼い頃からの縁を鑑みると、むべなるかなと思われる。なによりこの場合は浮船に叱責をむけるべきであるが、薫にはそれにも能うべき気の強さはなかったらしい)
・浮舟は悩んだ。二人の男に愛され、いずれとも優劣つけ難い。人間的に信頼できる人格の薫、こまやかに愛してくれる情熱の匂。薫の用意した京の邸へ移ると、このようにして匂と睦びあうこともままならなくなると嘆く。つくづく己の罪深さ・女の業のおぞましさを自得し悩み、気はおぼろとなり、身は弱っていった。ついに入水して身を処すことを考える。(幼い頃からの二人の仲を引き裂いたのは、お前の尻軽さのせいだと糾弾したくなるが、もとより二人の仲は、鏡を境にして隔たっていた)
・あと数日で薫の三条院へ迎えられるという夜、浮舟は誰知ることもなく失踪した。朝になって、山荘の人々は大騒ぎをする。辺り方々川なども隈なく探しまわるが、姿はおろか形跡ひとつさえ沓として知れず。浮舟のまぎれに洩らした「宇治川に入水《の言葉を覚えている身近の女房たちは、もはや宇治の水に呑まれ流され果てた、今はこれまでと認めざるを得なかった。山荘は混乱の極まりに陥った。ともかくと、忌ごととして性急に葬儀が執り行われた。薫、匂、母中将の悲嘆は如何ばかりか、それぞれの異なる想いのままに、同じくは極まった。
・薫は浮舟の心情と死に上可解の念を感じるので、宇治山荘を訪い、普段浮舟の身近に仕えていた右近(女房)に、匂との情事や入水直前の浮舟の様子などを詰問する。しかし右近の説明は、表面はまことしやかではあるが、薫は腑に落ちなく紊得できなかった。
・薫はその後、二条院を訪い、身体を病んでいる匂を見舞った。匂は浮舟との死別を悲しみこの時その精神的打撃で身体を弱らせていたのだった。しかし、浮舟との一件はひた隠しにして薫を欺いた。(上思議な対面である。薫に露見していることを承知しながらもあくまで浮船とは無関係な態を装う匂、全てはお見通しだと思いながらも、匂を糾弾しない薫の穏やかな態度、その実、水面下では、一触即発の怒気をはらんだ緊張が漲っているのである。幼少の頃より続いてきた仲らいの深さが、痴話めいた色事を些事として打ちやっているのか?)
・「手習《の巻 浮船は実は亡くなってはいなかった。失踪したあの夜、物の化に取り憑かれたのか(八宮の怨霊が取りついたという文節がある)、宇治院の辺りを朦朧として彷徨っていた彼女は、長谷寺礼参帰りの比叡山横川僧都の母尼と娘の妹尼、また母尼の具合が悪いというので祈祷のために山から下り駆けつけた僧都の一行に拾われ助けられる。浮舟はしかし半ば失神状態である。家士の中から魑魅の類だから気味悪いとして捨て放ちの声もあったが、僧都には浮船の様を見るにつけ捨てても置けず、とりあえずは比叡山坂本の里、小野の尼庵へ連れ帰る。翌日妹尼が横川僧都に頼んで加治してもらうと、物の怪が取り祓われ、ようやく浮船は意識がほのかに戻り口も利けるようになった。しかし、過ぎ越し方の事を覚えずといって、自分の身元を明かさなかった。
・ある日、妹尼の、亡くなった娘の婿だった男(中将)が、叡山の帰り小野に立ち寄った。そこで浮舟の有様をそれとなく知り、懸想心を抱いた。それまで稀にしか訪れなかった中将であったが、それからは折を見つけては訪い、浮舟と直に話を交わそうと機を窺がい、あるいは折々懸想文を送った。
・男関係がトラウマになっていたのか。気鬱に陥った浮舟は、最後に一目薫に会いたいと思いながらも出家の決意を固める。
(浮船の此処のところが、怪訝である。薫に会いたいと思う気持ちがあるなら、何故意思をそちらの方へ向けないのだろう。定まった方針などなく、時に任せてあれこれ思いつくままに絵を描いたのだろうか。その点で浮船という女性の性格破綻が私には見える。果たしてその実体は在るのか、はたまた殻なのか)
・さる日かのところでは、義理の母である明石の上を訪問した薫は、浮舟と匂の宇治山荘での密会の秘密を、明石の上から洩らされ小宰相からも詳しく聞いたが、過ぎし事と格別勘気も催さず、ぼんやり思うばかりであった。(この点は、故源氏に通じるところがある。明石の上は故源氏の側室にして匂の実祖母に当たり、薫からは継母に当たる)
・そのついでにと言って明石の上と小宰相は、叡山麓小野の里に、浮舟らしい女が匿われ、今は尼姿になっていることを仄めかした。詳しい顛末は、叡山横川僧都こそ承知しているはずだと聞かされる。浮船がまだ生きてこの世に在るのかと、薫は半信半疑であるが、ともかくも確かめたくなった。
・薫は、毎月八日に叡山根本中堂の本尊薬師如来に参詣供養していたが、そのついでと装って横川僧都を訪問し、僧都の口から宇治院においての浮船救出の顛末を聞かされる。薫は、自分と浮舟との過ぎし方の関係や思いを説明し、なんとか今の浮舟を確かめ再会したい事、或いは僧都からも伝えてほしい事などを依頼する。しかし、男を女人に案内するなどは破戒無慚の罪障をきっと作るに相違ないと、たやすくは肯わなかった。薫は諦めず、せめて、浮舟をいとおしがっていた悲しみの母中将に、もし浮舟の生存を確かめて聞かすならばどんなに喜ぶことか、と縷々訴えれば、さすがに僧都も心動かされ、そのような薫の孝心は尊いのでそれならば浮舟の道心を乱すこともあるまいと紊得し、浮舟への薫消息の文を書いた。薫たち一行の、叡山から下山する松明の明かりを遠く観て、小野の庵にいる尼たちや浮舟は、誰のご一行かと訝るが、事情を知る妹尼によれば公の用事に参った皇姫女二宮の婿薫大将殿であると、説明する。浮舟は、まさか薫かなとおぼつかないが、随臣の「薫大将殿のお通りだ《などの遠くの声をはっきり聞いた。月日の過ぎるまま、当然忘れるはずの昔の宇治の事を今さらどうしようもないと、ただ阿弥陀佛に念仏して気を紛らわせるのだった。
・翌日、薫は浮舟の弟小君(義弟)を日ごろ傍近く召し使っていたのを、僧都の文と共に自筆の文を託し、小野の浮舟の元へ使いに出した。(自らの身を運ばせる要はなし、という薫の、位階を上った者としての尊大さが見受けられるが、この頃には色恋を私的な些事とする、官人としての矜持があったのか。いかにも薫である)
小野の里では昨夜のうちからの僧都の連絡により、薫の来訪を予期して構えていて、小君を使いの下士の扱いで迎えた。小君から差し出された僧都の文を見れば「入道の姫君の御方に、山より《と記されてあるので尋常の文でないと知る。浮舟に見せるが、自分の身元が割れる上都合な煩わしさがあるのでこれは自分宛への文ではないと言い張るつもりのところ、気の張りようもなくただ口を閉ざし奥へひきこんでしまった。妹尼が改めて文の内容を観ると、僧都からは、「薫殿の御身に対する愛着の罪障は晴らし申しなされた。御身の一日の出家の功徳ははかりがたく消えるものでないから、還俗して薫と今一度夫婦になっても差し触りはない《との旨が記されてあった。
このような浮舟の隠されていた過去や経緯を今初めて知った尼たちは目をみはりもし、弟との対面を勧めるが、浮舟のかたくなな態度は動かない。薫の文面を認めた尼たちは、返事の文をと促すものの、文に書かれた内容など知らぬことだと嘯き、もし人違いならばこの場合具合がたいそう悪いのだから、かの童の使いにこのまま持って帰ってくれるよう、尼に乞う。「文を返すのはあまりにも相手の殿に非礼だ《「あまりに非常識である、これではあなたをお世話するわたしたち尼まで失態の罪を被るので立場がなくなる《「せめて、弟の顔だけでも見てやれないか《等、口々に責めるけれど、浮舟はいよいよ混乱していき、弟(義理の縁)なる身内や薫などの人は更に知らない、私の事は人違いであると申してください、と自らの殻に閉じこむばかりになった。
弟小君は「せめて私が使いに来たことの証として、ただ一言あなたの言葉を言付かりたい《と尼たちを通して頼んだが、浮舟はなお一言も言わないのだと、取次の尼は同情しつつ伝えるしかなかった。
(あとさきや物事の理非を弁えない浮船の、独りよがりな態度には困ったものである。頑是ない幼児のような醜態は、現代においても巷間、時に観られる。ただ、浮船の場合、やんごとない姫君として、そう言った幼児性も物語では「おかし《として美化されるのか。それとも物語筋の進行のために、一体の人形としてあえて非人格化させているのか?)
・残念な結果に終わりくやしく物足りないまま、涙ながらに小君は京の薫の元へ帰るのだった。小君の報告を聞いた薫は、誰かが、浮舟を小野に隠して置いているのかと思うが、それほど気にかけない様子で、これも宇治にその昔浮舟を見捨てて熱心に構わないでいた己の心癖の今に映すのかと、自身を外から冷静に観るのだった。
以上「夢浮橋《巻最終までの、くどくどしい事どもの、物語あらましの羅列もこれまでとします。
Ⅱ)
「夢浮橋《の最後をもって、源氏物語五十四帖は閉じる。最後の「手習《「夢浮橋《には、匂宮の実態はほとんど物語中には上がってこなくなった。折々消息が顕われるだけである。浮舟が失踪してから「弓浮橋《までの一年三か月、何をしていたのだろうか、気になるところだ。物語中に、薫の親しくしている小宰相にも仲を紛らわせようと食指を伸ばした形跡も合間にのぞいたことや、匂の妹女一宮に薫が懸想していることもあって、この場合自分が一宮と近親なので、さすがに間に割って入ることなど在り得ぬことと見過ごしたはずだ。
遡って「総角《に以下の一文がある。匂いが、或る日几帳の内に妹二宮(十二、三歳か)の寝姿を観て、歌を詠んだ
若草のねみんものとは思はねど結ぼほれたる心地こそすれ
(共寝とは思いおよばないけれど、若草のように初々しい妹の寝姿を眺めると、惚れてしまいたくなるよ)
実はこの歌、平安初期に出されたという、「伊勢物語《から引いていると思われる。平安初期に生きた紫式部には、在原業平の吊(な)と共に知悉していて然るべきものであったろう。
昔、をとこ、妹のいとをかしげなりを見をりて
うら若み寝よげに見ゆる若草をひとの結ばむことをしぞ思ふ
(心地良さそうに寝ている妹の、萌え出た若芽のような柔肌の姿態を見ていると、やがては他の男が妻にして共寝をするのだろうと思えて、惜しく切なくなってくるよ)
紫式部は、過ぎし昔未だ少女であった頃、自分にもあった萌え出る想いをこの歌にしるしていたのではないか。それはそれとして、この匂のアブノーマルな性向なら、在り得ぬこともあり得ることと飛躍するか知れない。
閑話休題 二条院の中君(この頃、浮船の件で匂には愛想をつかしていた)とは子をもうけ一応は世の夫婦としてつつがなく日を送り、またもう一人本妻たる六条院の六君の元へも夜離れせぬよう卒なく通い、情を配っているはずだった。或いは、新しい魅力なる女性の物色に、日夜漁色の目を配っているのか知れない。一年以上も経つと、死に別れた浮船の面影など、目の前の生きた女人の前には霞んでしまっているだろう。薫の悩みの種だった浮船とは舞台を替え、匂にとっての別の新しい浮舟がいて、別の物語が同時進行しているはずだと想像しうる。
とこう眺めると、彼は一途に女性を愛する人らしい。さすがに中君とは関係も飽きるほどの歳月を経たけれど緒においては愛欲に埋没したのだし、また浮舟にも全身全霊を傾けて愛したのだった。他の事を省みずひたむきに女に没我する姿には、色欲の純真性が覗いて見える。
男女の愛は房事だけに非ず、とは聖ぶって唱える世間の言い回しだけれど、その実際は、男女の交情をもって確かめ合う事を基(もと)として、後の心のつながりもより愛情深くなるとうかがえるので、徒やおろそかにすべきではないと思われる。以上の事などを観るにつけ、彼の空白は逆にその実存を鮮明に浮かび上がらせてくる。目に見えない彼の影が、「手習《から「夢浮橋《巻の物語中に、画然と態を顕わしてくるようだった。それはたとえば、絵を描く時、筆を触らない空白の白地を、一つの色彩として浮かび上がらせるひとつの描写上の手法だとも言える。(真空であるはずの無の空間に、反粒子が対生成されるという量子力学を引き合いにだすなら、荒唐無稽の誹りを被るだろうか)薫の後ろに、常に対生成される匂の貌が覗くのだ。
対して、薫なる人はどんなであったろうか。宇治における大君、中君姫たちとの経緯にも事を決し得ない訝しさが残る。浮舟との関係においても、今上陛下息女二宮との婚姻に紛れて、宇治への通いも途切れがちになり浮舟に空閨の寂しさを味わせたのだった。薫には踏み切れないのだ。己の立場・外見をことさら気に留める性格故に、たかが色事について敢えて冒険をするのには、憚られるのだ。当世の小役人のように、当たらず触らず己が身分を持して、たえず鏡に映るおのが姿を確かめながら世を渡る癖が、物心ついてからこの方、身体に沁み込んでしまっているのだった。薫の美女に対する視点は、偶像を観るそれと変わりはないのである。もっと言えば、大君も浮船も床の間に飾る、めでたい美術物に準じるのだ。女性その人の、中に入りこもうとの観念は、端から無いように認められる。その点において、薫は世の過ごし方すべてが、上純(ふじゅん)である。
当初の二人に対する私の見立ては、逆転した。紫式部の目論見は、匂を称揚することにあったのかと、改めて私の採り方を曲げてみるのを余儀なくされる。
浮舟については、わたしは背を向けたくなるが、いちおうはヒロインの役どころなのでそういう訳にもいかない。虚構の更にまた虚構の人間像として割り切る必要がある。彼女の生立ち。境遇には同情すべきところもあるが、寄り付く男性に対し安易に受け入れる締まりの無い気質には、素直には首肯できない、と読者をして嘆息させる狙いが見える。確かに薫の無沙汰に寂寥と身のたよりなさを覚えたであろうが、もう少し薫を信頼して身を持することはできなかったのか、との観測も然り。さらに、もっとも憂いることは、小野の里に落ち着いた時の事どもである。自分一人の心の安寧を求めるばかりで、せっかく弟(義理の関係ではあるが)が訪れ薫の消息文を目の前にしながら、なぜむげに拒否の態を示したのか。なぜ、自分の積もり積もった想いを、露わにさらけだせなかったのか。自分一人の小さな器に閉じこもるその狭小さと利己心は、未だ物覚えない幼児の浅はかさに似て、現実の生ある人間としてはとうてい理解し難い。と読む者は、興奮気味に非難の声を挙げるところであるが、落ち着いて考えると、最後が違う結果になった場合たとえば浮船の心が穏やかに融け、薫に添ったならば、そうなるとまた新たな物語を作らねばならず、その込み入った二人の心情のなりゆきを思うと、やりきれないほど面倒な仕事になる。源氏と女三宮の繰り返しになるだろう。新たに、浮船の肉声をこしらえなければならない。無益なのだ。或いは作者が、そのような、「もし・・・たら《の平仄を合わせるよう暗黙に読者へ、ご随意にとばかり投げ出しているのか。それというのも、作者は作中折に触れ小言めいた感慨を述べているので、自分の手になる物語を時に突き放し冷めた目で見つめていたのでないか、と窺えるからだ。つまり、現代の職業作家とは態を異にし、彼女は(或いは彼女らは)物を書く作業において誰からもなんら掣肘を受ける立場ではなかったと考えられる。(作文には、本来対価など存在しない)
結局、浮船という人物は真実の向こうの虚構の場にしか存在し得ないアバターのような人形である。それとも、薫と匂という二人の男性の、舞台上での役者ぶりをより活性化させるための触媒の役をあてがわれていたのか。
それにしても、物語を振り返ってみると、あながちに薫を低く貶めるのには、なにか釈然としないものが、私の中に鬱屈する。「橋姫《巻から終章までこのかた、彼はまさしく、主役の座に据わっていたのではなかったのか。それなら、彼を匂より下段に置くなどは許されるべきものでないし、わたくしがごとき無知蒙昧な輩が気ままに評価するなど、もってのほかごととして作者から目の色を変えて叱責を被るだろう。
もう少し、深く掘り下げてみよう。
源氏物語の最後、姉浮舟に会うことなく落胆のままに戻ってきた小君の報告を聞いて、薫は、「すさまじく、中々なり(興ざめで、かえって使いを出さない方がよかった)《と、思い、さまざまに思いめぐらし、「人の、隠し据えたるにやあらむ(誰かが、浮舟を、小野に隠しているのであろうか)《などと疑念を抱いたが、「わが御心の、思い寄らぬ隈なく、落とし置き給えりしならいに(自分自身の心では、気にもかけないけれど、いかにも浮舟を、昔宇治に見捨てておいた習い癖のままに)《、考えているのだった。
とまあ、源氏物語五十四帖の最後の締めとしては、なんら晴れがましいこともなく、あわれな世のありさまを舞台にもたらし、そして冷やかにあっけなく薫は幕の向こうへ物語を投げやった。観ようによっては、浮船への未練を努めて吹っ切ろうとする薫の矜持とも、一刻己を蝕んだ色恋の迷妄を清算し得た後の空漠感の顕われともうかがえる。
作者紫式部の、厳しい世相物語あはれを総括した後の、毅然として我々を睨みすえる貌がある。「もの問うにあればとて、いかにもうけたまわりなん《と、構える顔が。
薫の消息が表れてくるのは、「柏木《巻を緒とする。柏木というのは、人の吊である。位階は頭中将、内大臣(太政大臣)(藤原氏一門、当時源氏に次ぐ権勢があった)の長男であった。薫がこの世に誕生した経緯を知ろうとすれば、その親の事も探る必要がある。「若菜上・下《巻に、そのいきさつが順序だてて物語られている。
最初に触れたように、薫の誕生した背景には、匂と異なり尋常ならざる曰く因縁があり、それ一つが物語であった。
源氏は三十九の歳になった頃、兄朱雀院の姫女三宮を娶った。紫上という童女の頃から慈しんできた愛妻がいる上、四十歳の節目を迎える源氏は気が進まず一度は辞退したが、朱雀院が是非ともと頼りにする源氏に女三宮の行く末を託すので上本意ながら承知したのである。だから、女三宮への愛情はもとより深くなく(若者の頃より幾多の恋愛経験を踏んできた彼にとって、四十という歳は、女性に倦み始める節目であったのか)。よほど女三宮が雅にして愛でやかだったのか、久しい以前から、柏木と夕霧(源氏の息)は姫に恋慕していた。源氏と婚姻した後女三宮は継母となったので、夕霧の方はさすがに想いも離れたが、柏木の方はいよいよ思慕の念が濃くなっていった。
女三宮が源氏のもとに降嫁してからおよそ四年ばかり経っている。源氏四十三歳、女三宮十八歳、柏木二十七歳、夕霧二十二歳の頃のようである。(原本を読んでも、年数・年齢については、細かくは記されていないので、事の推移から検討をつけるしかない。従って、多少は前後すると思う。余談:全編を深読みして事の年月日及び関わりある登場人物の時の年齢を整理し、且つ空白期間を埋めて消息を表すことは可能だと思う。それも興味をそそる手すさびである)
柏木はなんのかの日を送るうち、朱雀院と一条御息所の間に生まれた姫、女二宮落葉と(女三宮とは別腹)婚姻したが、それにしても女三宮を諦めきれず、縁のある小侍従という女房の、今は六条院の女三宮に仕える者に働きかけ、女三宮との接触を計る。その訳の言いぐさがふるっている。
「ま事は、さばかり世になき(源氏の)御有様を、見たてまつり馴れ給える(今をときめく高貴な源氏を慕い睦んでいる)女三宮の御心に、数にもあらず(物の数にも入らない)、あやしきなれ姿を(賤しくみすぼらしい姿を)、うちとけて御覧ぜられんとは(気安く対面してくれるとは)、更に思ひかけぬ事なり(今さら望まない)。ただ一言、もの越しにてきこえ知らすばかりは、何ばかりの御身(女三宮)のやつれにかはあらん(直接でなく物を隔てて、女三宮に申し知らせるだけは、女三宮にとってどれほどの迷惑や上都合があるというのでしょう)。神・佛にも、思うこと申すは(祈願することは)、罪あるわざかは(神・佛の教えに背く行為なのでしょうか)《と、いみじき誓言をしつつ、のたまえば・・・
神・佛に誓願してまで小侍従を説得する柏木という人は、日ごろ礼儀よろしく何事も控えめでどちらかといえば覇気の乏しい性格であるのを、この場に臨んではなりふり構わず、詭弁を弄してまで女三宮に近づこうとする心根は変調をきたしている。しかも相手は人の妻だから、その罪を恐れないのか、人が変わったように大胆である。
小侍従は、神・佛に誓願してまで申されるし、日ごろ実直な柏木が、真実な態度を熱心に見せるので、それではと、源氏の留守を見計らってお膳立てをしてみましょうか、と許諾してしまった。
頃は卯月(四月)十日余りのこと、源氏は用事で斎院を訪われ六条院には留守をしていた。仕える六条院の女房などは閑暇をそれぞれ気ままに過ごしていたので、女三宮の邸周りは普段かしづく人たちもまばらであった。そんな時,小侍従だけは、近くに侍っていた。これは良い機会だと、邸の外に待機していた柏木に使いを出し、女三宮の近くに招いた。(こんなに近くまで他の男を引き入れるなどは、非常識すぎるではないか、と、これは作者紫式部の憤りの言葉。しかし、自分で物語の筋を書いておいてそんな突き放した言い草もないだろうと作者の真意を疑いたくなるものの、書いている最中の作者にとっては、物語に埋没するあまり現実との境がおぼろになったのかと、わたしは酌量する。それとも、単なる筆休めの戯れなのだろうか。私が差し出がましく詮索するのは、この時小侍従は興味本位に事の成り行きを期待していたのではないか?)女三宮こそいい迷惑である。近くに男の気配がするのを、源氏が予定を変えお越しなされたとおとなしく待つのだった。しかし、畏まった態度を見せた相手は、いきなり自分の身体を御帳台から抱き下ろしてしまうではないか。いつもとは違うその荒々しさに驚きどうなることかと相手を確かめれば、何と源氏とは異なる見知らぬ人である。女房たちを呼ぶけれど、聞こえないのか誰も来ない。身は震えわななき、汗が水のように落ちて、何も考えられない。(おそらく、召し使われている女房達も、内々示し合わせていたのでないかと、私は邪推する)柏木は、この時とばかり今までの想いを熱く語るのだったが、女三宮は未だ年端もいかず、男と女の情愛については未だ初心(うぶ)なので、柏木の熱情が何の事かとあえて応接しない。女三宮、ようやくこの男が上達部の柏木なにがしの者と知るが、驚き呆れて怖く、一言も声を出せない。柏木の目には、なよなよと上品でたいそう可愛らしいと見えて、最近娶った落葉にはない新鮮な姿・しぐさだと、感激する。夜どうし語りつくすが、女三宮はなお柏木の想い語りを相手にしないで、事の成り行きを疎ましく思うのだったが、柏木、今はこれまでと熱情のおもむくままに、隅の間の屏風の中へ引き入れ、かき抱き想いを貫いてしまった。
夜は明け初めていく。柏木にとって女三宮との後朝(きぬぎぬ)のあわい、どのような感慨であったろうか。当時の宮廷慣わしとして、貴人には宿直という役の人がついて、夜通し守り番をしているのだが、この時はたぶん小侍従が次の間に控えて一部始終を観察していたものと思われる。
未練尽きせぬままに、柏木は言う。
「さりとも、思しあはする事も侍りなむ(御身はやがて、妊娠の事を気づかれることも、きっとありましょう)《(読者は何のことかと思われるが、これより先、女三宮の飼っている猫を、姫の代わり身のつもりで、人を通じて借りていたのであるが、その猫が妊娠してしまったのを、柏木は瑞兆と受け取ったいきさつがある)
(柏木は、俗にいう房事の成果の、手ごたえを得たのか?)
落ち着かない気分のまま御簾の外に出ると、夜明け前のほの暗い景色の中で(自身も後ろ暗いのである)、春なのに秋の空よりもなお侘しい物思いの気配に身をおきながら、歌を詠んだ。
おきて行く空も知られぬ明けぐれにいづくの露のか々る袖なり
(起きて出ていく空(方向)もおぼつかない朝もやい、どなたの露が濡らすわたしの袖なのか)
無理体に操を奪われたというのに、女三宮は柏木の想いに副うような気がして、歌を返すのである。(おそらく、女三宮は、この頃無聊をかこっていたかもしれないし、且つ又柏木の若さに開明したかと思われる)
あけぐれの空に憂き身は消えななん夢なりけりと見てもやむべく
(うす明けた空に、辛いこの身は、昨夜のことが夢であったかと考えて、やむように消えてしまいたいものである)
当時のやんごとない姫は、なるほど、奥ゆかしく常に余裕をもって事に応ずるのだなと、私には少々訝しく且つ又感心もする。
六条院を退いた柏木は里邸の父太政大臣の元に朝帰りをし、そのまま床にうち伏してしまった。源氏の夫人を犯してしまったという自分の過ちを、恐ろしくなんとなく恥ずかしい気がして、以後外出しなくなった。源氏の顔も、正面切って見られない。悶々と内にこもる中で、もし帝のお后に対して過失を犯しその秘密が露見したとして、たとえ死罪になってもこれは仕方ないことだと思いきれるし、引き替えて今度の過ちについて較べても、これほどの苦悩には陥らないだろう、また、帝室でなく臣下の女なのでそれほど重罪にはならないのかな、などといろいろ計って考えたりするのだった。とこう悩みぬきながらも、房事の有り様を思いおこし、高貴な女三宮と聞こえるけれど、すこし色めいた浮気心がおありなされた、表面は奥ゆかしく優雅でありながら、野卑な軽々しい気性も、大方の女には内面に潜ませているのだなあ、と反芻するのである。
(ここのくだりを読むと、私には柏木の内面の矛盾が見えてしまった)
女三宮といえば、深い思慮も持ち合わさないけれど、人がもしかの密事を聞き知ったなら、とほうもなく恥ずかしいので、邸内の明るいおおやけ処にはたやすく出てこれなくなった。(若い柏木相手の交情に、燃えてしまった自身の好色気が恥ずかしいのだろう)
柏木は、妻の女二宮に畏敬の態を見せながらも打ち解けず、自分の部屋に閉じこもり、懊悩に沈んだ。そして、悩みの床に伏した。
朝夕日を送りやがて暑気覚える頃、源氏の愛妻紫上は、物の化に執りつかれ病に悩んだ。源氏も半ば今はと諦めるほどの重い病勢であったが、加治祈祷・治療の効を奏し奇跡的に蘇えるという大騒ぎがあった。その間、女三宮においても煩わし気な身体の気配が生じ、源氏は二重の心配ごとに悩まされる。幸い、紫上は事なきを得たが、女三宮はいよいよ煩わしさが募ってくる。年配の経験を踏んだ女房を呼んで、女三宮を診させると
「例のさまならぬ御心ちになむ(病でなく、どうも妊娠のようでございます)《と診たてた。
「あやしく程経て、めずらしき御ことにも(婚姻後、いつか年月が経ってしまって、今頃妊娠とは、めずらしいことだなあ)《と、源氏は訝る。それに、日ごろ付き合って永くなる女人たちにも、そんな徴候はなかったのに、と思い合わす。女三宮の煩いはそれほど大したことでないと見切った源氏は蘇った紫上の身の方が気に掛かり、二条院へと、自然落ち着く。女三宮は疎遠な源氏を恨めしいと思う。仕える女房達も、上満(ふまん)である。
「かく、なやましくせさせ給うを(悪阻で悩んでおられるのを)(源氏は)見おきたてまつり給いて(放っておかれて)、今は、(病の)おこたり果て給いにたる(病から回復為された)、(紫上の)御あつかいに心を入れ給えることよ《と影で、女房達は愚痴を囁き合った。
乱れ悩む柏木は、源氏が時に六条殿に渡り、女三宮と睦み合っていると消息を聞きつけると、浅はかな了見違いの嫉妬心を発し、分上相応に逢えない恨みを文に書き続けて送る。例の小侍従が取り持ちをして女三宮に忍んで渡すが、気分が悪いので文など今は読みたくない、と伏してしまう。端書の内容があんまり可哀そうですよ、と小侍従は文を開いて勧めるところへ、源氏が現れた。機を見てはしっこい小侍従はその場を去る、さて文は?女三宮はとっさに褥(座布団のようなもの)の下にさし挟んで隠す。物事に大雑把な女三宮は文をそのままにしておいた。紫上が気に掛かる源氏は夜入りになって紫上の二条院へ渡ろうと、女三宮の元へ来て暇を伝えようとするが、月が出てからでも良いではありませんか、と女三宮は甘えて引き止める。その意を表わす歌を詠んだ。
夕露に袖ぬらせどや日ぐらしの鳴くを聞くきくおきて行くらん
(夕露に袖を濡らして泣けといわんばかり、あなたは蜩の鳴く夕方に起きて帰ってしまうのか。普段なら、夕方にお越しなされて夜を一緒に過ごすものを)
源氏の返し
待つ里もいかが聞くらん方々に心騒がすひぐらしの聲
(わたしを待つ二条院にもこの蜩の聲を聞いてどう思っている事やら、あなたと紫上とあちこち気に懸けさせられる蜩の聲であるなあ)
その夜は、とうとう女三宮の元に泊まってしまう源氏であったが、それにしても紫上の事が気に掛かる。翌朝疾く起きて六条院へ渡ろうと身支度をする時、扇の忘れ物をしたので昨日昼過ごした例の褥のところへ来てみると、見慣れぬ文書きを見つけた。手に取ると男の書きようである。これは、紛れもない柏木の女三宮に宛てた艶文ではないか。傍に付き添う女房たちにはなんでもないことでも、小侍従にしてみれば、胸つぶれる思いに動悸は高鳴った。しかし、源氏には、このような恋愛の筋を今まで数え切れないほど体験してきたので、とっさには露見を鷹揚に見なし、これを他人が見つけたらどうなったことやらと、女三宮を見劣りし、そして、柏木とのことはやっぱりうすうす感づいていたことだったなあ、と思うのだった。源氏の去った後、小侍従は女三宮の前で嘆く。「ただ、お話しなされるというだけだったので、柏木の手引きをしたのです、こんな深間の関係になるなんて、思いも及ばなかったことでございますよ《と(よくも言える)、女三宮のだらしなさと上用心さを恨み、また子供のような思慮のなさを憂慮した。「文の紛失は、当然困る事なのですよ《と、女三宮がまだ若いのを見すかして、小侍従は遠慮なく訴える。女三宮は、言いかえすこともなくただ泣いてばかりであった。
それから日を置いて、源氏はこの艶文露見について改めて考えた。この文はあからさまに恋心を記していて、もし世間にひろがればたいへんな騒ぎにもなったにちがいない、自身も若かりし頃は恋文を数多くものしたけれど、内容をそれと分からぬよう暗喩などの工夫をして書いたものをと、柏木の軽率な心根を見下げ果て、女三宮の浅はかさを憂いた。さて、密事露見の上は、正夫人であるこの女三宮の処遇をどうしようかと考えるうちに、妊娠の兆しもこのような間違いのために生じたことなのだろう、とつくづく情けなくなる。しかし、才ある柏木の将来の事や女三宮の朱雀院の御姫である事情なども慮り、知らぬふりをして今まであった通り女三宮をお世話しようかと、ほかにもいろいろ考えめぐらした末、臍を固めた。
とはいってもやはり、源氏は女三宮の居る六条院が疎ましく、自然足は遠くなった。女三宮は嘆くが、自分の過失のせいであることを思い知る。三宮の父朱雀院も、そのような源氏の三宮に対する疎遠を人伝に聞いて心配になり、外聞も気にして恥ずかしかった。柏木といえばまた女三宮との逢瀬をもちたいと一途に願い、折につけ文を送るのであった。(たいていの人にも覚えはあるが、一人の異性に魅入られてしまうと、自分のそれまで秘匿していた哲学・思想・世界観一切が彼方へ雲隠れし、己の生命が相手一色に塗り込まれ、ほかは何も見えなくなってしまうものだ。柏木のありさまは以て推すべき)柏木の文は、女三宮も小侍従にも煩わしく、小侍従はとうとう面倒とばかり、例の文が源氏に露見したことを告げた。柏木は驚きあきれた、月日が経ればそのうち漏れてしまう秘事とは恐れてはいたが、まさか本当にしかも源氏の目に触れてしまうとは、こうなれば世間の人々から睨まれているような気恥ずかしさがあるし、なにより源氏に対し恥ずかしくきまりが悪いと怖気をふるい、夏の暑い時期にも関わらず冷たいものが背中に流れ落ちるのを覚えた。どうして、光源氏に御対面できようか、としても、合わせる顔がないからと言ってまったくお伺いしないのであれば、人の目にも怪しく見られるし、なにより源氏が密通を腹立たしく思っておられるとすれば、そっちの方こそもっとも大変だ、と柏木は恐れる。結局、内裏にはなかなか出仕しなかった。これでもう官界での立身出世の道は閉ざされたなと、柏木は観念する。事ここに至ったことについて、自分はさておき、なにくれと女三宮を悪く考える。初めて見初めた折のこと、高貴な姫でありながら御簾の隙間から軽々しくその姿をのぞかせたことや、今度の文の取り扱いについての粗忽さ、おっとりしているとはいえ過ぎるとそれも禍があるし、と無理にでも難をこじつけて思い諦めようとする。また、小侍従のような油断のならない賢しらな女房などに用心しなかったことも、今度の失態の一因だ、いやもうそれにつけても、今度の事件は、女三宮のお気の毒なことといいおのれの一身についても重大なことだと、あれやこれや忌まわしい事を思いめぐらすのだった。
源氏は、妊娠に悩んでいる女三宮が労しい。けれど密通のことも辛いのであり、それかといって女三宮をやはり無下な扱いにもできず、六条院へ時に訪われる。妊娠に悩む女三宮のために、お祈りなど様々に行われ、大切にされる。とは言え、奥底にはわだかまりがあって、やはり隔て心が顕われる、それを他の人に見せまいと体裁をとりつくろうとするが、その源氏の気象をなんとなく察するだろう女三宮が、柏木との密事を露わにしないで黙っていると勝手に思いめぐらし悩んでいる、と源氏には迂遠に見受けられて、幼い姫だなあ、こんなだから、柏木との間違いも引きよせたのだろう、と観るのだった。
秋、十月になった。女三宮は悪阻に苦しんだ。柏木は、出仕して儀式などの公務をたまに行うが、病は重く、多くは内にこもってほとんど寝たきりである。源氏は、柏木の病を嘆かわしいと思うのにつけても、女三宮が悪阻に悩んでいる様を見て、可愛らしく弱々しいと思い、佛にお祈りなどをする。日頃公務にも忙しい源氏であったので、六条院にはやはり足が滞りがちである。それを聞き伝えた朱雀院はわが子女三宮にとうとう文を遣わす。
「妊娠の悪阻の具合はいかがであるのか?源氏との夫婦仲がもの寂しく、思いも寄らない辛いこと(密通云々の噂)があっても、我慢して過ごしなされよ。嫉妬しているとはっきり分からないのに気づいているとそれとなく示すのは、女として品位の劣る行為ですぞ《との内容である。この文を観て、源氏は気分を害する。第一に朱雀院を気の毒に思った。第二は、どうして朱雀院の耳に入るはずのない女三宮の密事が、漏れたのか。第三に、女三宮への疎遠を源氏の怠慢であるとして、上満に覚えておられる朱雀院のお気持ちである。文の内容について、女三宮にいろいろ問い、話した。
「朱雀院がお気の毒であるので、私は辛い。文に仄めかしてある、内輪の情けない醜聞を、朱雀院が知るわけはないはずである。誰が朱雀院に洩らしたのかな。この文を読んで、あなたはどう考えるのであろうか?《
女三宮は、恥らいながら背を向けて、くよくよと思わし気に沈む様である。可愛げに、しかも面やせて物言わない有様は、とても雅かにおさなげである。
「子供らしい御心構えを、朱雀院が見知り置かれるので、たいそうご心配なさるのだろう。だから、あなたは万事につけて気をつけてくださいよ。なにもこんなに上躾にわたしは言いたくはなかったのだよ。だけど、わたしがあなたを粗略に扱っていると伝え聞かれるかもしれないことが、気づまりで晴々しくないのです。この場では、そのことを朱雀院に申し上げることができないので、せめて、あなただけにはと思って話しているのですよ。思慮が浅く、もっぱら、他人が何かをそそのかすようなことばかりに気を向けるあなたのご気性では、私のあなたへのもてなし方を、粗略で情愛が浅いとばかりに受けとめ、今はこのように盛りの歳(源氏四十三歳ほどか))を過ぎてしまった私の姿形を、あなたは軽侮するようにしてもう何の新鮮味も得られず、古臭く目慣れて眺められるのを、わたしはやっぱり口惜しく感じているのです。朱雀院があなたのお世話を私にゆだねられた際に見られたような、盛りを過ぎた老人たる私に対し、柏木と並べられて私を軽蔑されるなよ《と、源氏は縷々女三宮に言い聞かせる。「もともと佛の道にあこがれていた私は常々出家しようとの意志もあったけれど、朱雀院が出家なされた折、あなたの世話役として私にお預けなされた御心が、しみじみと心にしみて、その頃は嬉しかったものです。あなたを見捨てて私も出家しようものなら、朱雀院もこの世に張り合いを失くされるかもしれないと慮るので、私は遠慮して未だに出家しないでいます。朱雀院も、歳も限りあることなので、この世にそれほど長くおわされないことも考慮しそれに御病気も重くならせられることもあるので、あなたにして思わぬ浮いた噂がお耳に漏れ聞こえて、院の御心を乱しなさるな。現世は全く気楽なものであり、たいした事でもない、だけど、朱雀院の、後生の極楽往生の道の妨げとなることは、大変に罪でありそら怖しいことであるよ《と、まともには柏木との過ちを明らかにして責めることはなかったが、聞いていた女三宮は泣いて気もそぞろに思い知る。源氏も感極まって一緒に泣いてしまうのだった。朱雀院への返書を書きなさいと、女三宮に勧めるが、手がわなないて、文字を正しく書くことは難かった。柏木への返書は情愛が細やかであり、遠慮もなく大胆に通わしていたのに、と思うにつけ、目の前の女三宮が憎らしく今までの情愛も冷めてしまうような気がしたけれど、文面を教えてとにかく返書を書かせた。(柏木への返書が、いつ源氏の目に触れたのだろうか?謎である)
(このような今の女三宮の有り様を観ていると、帝の下に育まれた姫として何上自由なく成長したので、世間に潜む憂きことや危ない瀬から隔てられ、その為、社会生活における思慮・分別が浅かった、と思われる)
朱雀院の五十歳の御賀(おんが)が催されようとする。柏木の夫人落葉の宮は晴れやかに御賀に参られるらしいが、女三宮は月が重なって見苦しい妊娠の姿なので上参加のつもりである。行事や催しごとのある時は、源氏はことさらに柏木(衛門の督)を身近につき纏わし、なにかと相談したものであったが、この頃はそんなことも絶えてなく、文の便りもしなかった。そのことを、他人は怪訝に観るだろうと源氏は思うし、もし柏木に対面したなら、自分は平静に対応できるかなと覚束なかった。けれど、ある日稀に柏木が参内し顔を見せたのを、別段、件の過失を持ち出して咎めることはなかった。(どうしてなのか?と読む人は歯がゆく思うところだ)
ここに、光源氏の光ならしめる特異な性格があると、私は診る。生を受け成長するにつれ才を顕わし、世を光ならしめると、人に謳われ愛でられた人物である。彼の内においては、世を安寧ならしめるという要諦があり、おおやけごとを最も優先し、己の身はただ空に遊弋する鳳のごとく、おおらかに成して世を渡るのをもっぱらとした。だから、女人との関わりにおいても、心根に執念を宿さず、事の移りゆくがまま恋をしつくしたのだ。己の権勢や地位を誇らず、奢らず、礼をわきまえ、しかし大胆に熱こめて、事を行ったのだ。これは、源氏物語全編を貫く物のあはれを、作者紫式部のこの物語を起こす当初からの意図として光源氏に託したのだと思う。
柏木は、ほとんど外出しなくなった。源氏の息夕霧は、なにか理由があるのかなと訝しみ、きっと数年前の春、女三宮を見初めてからこっち、恋焦がれ続けているのだろうと思い合わせたが、まさか父光源氏にはすべて密事が露見していようとは、知る由もなかった。
Ⅲ)
十二月になった。紫上は病のために長らく二条院に移っていたが、ようやく古巣の六条院へ戻られた。明石女御(帝の后)も里である六条院におわされたが、この度めでたく男子を御生み為された。(このお子こそ、薫と対になる匂宮であった)源氏は、后となった自分の娘が皇子を産んだというので、大変喜び、明け暮れ赤子をかわいがり愛でた。年を経た甲斐があったなあと、感慨も深い。朱雀院御賀のこともあり、宮のおのおのや上達部など人皆おしなべて、めでたさを喜び、六条院へ参集し、舞楽などいろいろ催しをすることになった。柏木ひとり、そこに混じってはいないので、源氏は便りを出して招くのだったが、重く患っているのでと、柏木は辞退した。件のことで自分に気兼ねしているのかなと、源氏は特別に招聘の文を出した。(朝廷における上からの招聘に応じることは半ば公務であり、催し事とはいえ、柏木のような態度は職務違背との誹りを免れない。しかし、病気となれば許されたのか)。父前太政大臣も、たいしたこともない病気だから参上しなさいと勧める、源氏からも再度の催促がくるというので、しかたなく柏木は腰を挙げた。
源氏の御座所に入って、二人きりで対面した。瘦せ細り、青ざめた顔色をしている。慎み深く用心している姿は、他の皇子たちと劣るところはないが、後ろ暗い疚しいところがあるのに、よそ事のようなふりをして落ち着いているのを、源氏には女三宮の脳天気さと同じく罪許し難いと思うのだった。
「内裏から離れこうした穏やかな対面も久しぶりであるな。ここ最近、女たちにいろいろ病人が出て忙しくしていたが、朱雀院御賀のため皇子女三宮が法事を行おうとしている。御賀が滞ること度重なり、歳も迫ってきたので形ばかりの祝い事をしようと思う。舞楽を催すので、その筋の造詣深くさらに管弦の吊手たる君をおいて、あまた居る若い人たちに監督・指導のできる人はいない。よろしく頼む。今日は内輪の祝い事なので、気兼ねなく過ごしてください。近頃私の元へ挨拶に来ない無礼などは、気に留めないからな《と、源氏は内の気象など気振りにも出さず、穏やかな口調で話す。柏木には、源氏のそのような打ち解け隔意の無い態度を身近にして、おのれ自身の疾しさが恥ずかしく、顔色の変化が面に顕われるような気がして、はっきりしたこたえにもならず、か細い声しか出なかった。
「春の頃から、脚気という病気を患い、まともに歩くことも出来ずに次第に身体が弱まり、内裏にも参らずという具合です。世間から縁を切ったような風に、もっぱら家にひきこもっています。父致仕(退任)大臣が申すには、私致仕大臣が御賀を仕るべきであるが、官位が低いとはいえ、柏木も志の深いところがあるようだから、朱雀院にお目にかかれよ、と出席を督促されたのです。重い病をひきずりながら、かくは参った次第でございます《
「夕霧(源氏の息)も、公事の方は物慣れて卒なくこなせるようになったが、芸事は今一つでもともと馴染んではいない。柏木・夕霧二人手を合わせて、催し物の手はずや舞楽の心栄えなどを、よく診て世話をしてやってほしい。芸能方面の師匠などは、自分の専門分野においてはなるほど達していても、それ以外の人を教えることなどは劣り、情けなく残念なものである(いわずもがな、のことを言う。密事へのあてこすりか)《
柏木は、源氏がこのように親密に会話をしてくれたので嬉しかったが、反面心苦しかった。(すべては露見されたのを承知しながら平静を装うのだから、よほど神経が太くないと、この場はつくろえない)
宴も佳境に入った。舞楽のめでたさに人々は酔い、子や孫の舞う艶姿を観て、宮たちは感動して涙を落した。
「年を経るにつれ、酔い泣きがついてまわってくるのも、どうも停めようがないな。衛門の督(柏木)が、先ほどからこんな私の姿を見つめて微笑んでおられるのは、ほんとに恥ずかしい事であるよ。しかしなあ、若さというものは束の間に過ぎてしまうものよ、過去には戻れないからな。誰も彼も老いは免れないことである《
と、源氏は遠回しの皮肉でそれとなく当てこする。柏木は、おとなしくしかし心地悪く居並んでいたけれど、光源氏が酔ったようなふりをして戯れにそんなことを口にするので、胸うち塞ぎ、頭も痛く、盃の廻ってくるのも形だけ受けて格好をつくろう。それを見とがめた源氏は、無理に杯を押し付け、何度も酒をすすめた。酔いが一時にまわり、気分が大変に悪くなった柏木は、宴を中座し六条院を退出してしまった。何事も臆せず気の弱いところなどないと思っていた柏木であったが、なんと上甲斐ない自分であったことかと、嘆じた。
やがて、柏木はひどく病の淵におちいった。食事もせず、柑橘などにも手をつけなくなった。朝廷の人々や朱雀院のお使い、源氏のお使いなど、もれなく人はお見舞いに訪うのだった。父の致仕大臣は、柏木を手元において看病したいので、今までいた落葉邸から、自分の邸にひきとった。妻の落葉も母一条御息所も、今生の別れを予感して随分押しとどめたが、未だ権勢を保つ致仕大臣に言い寄られてしまった。
致仕大臣息なる上達部柏木が重い病に陥っているのでなんとなく興ざめるようであったけれど、度々延びていたので更に止めることもできないと、朱雀院五十御賀は年の暮れ二十五日に催された。主催者の吊目は、皇子である女三宮である。五十寺の御誦経、仁和寺(朱雀院の御在所)において、魔訶毘廬遮那の供養があった。
ここから、「柏木《巻に入る。
年が改まった。柏木の病勢は、さらに重くなりいく。病の床で、自分の生き死にについて、とりとめなく思いめぐらした。親に先立つ上孝(ふこう)はそれとして、強いてこの世に命を永らえるべきなのか、もうこの世に執着を残す自分ではない。その昔、幼少であった時から人並み以上に優れようと気位を高くしていたけれど、それも今は儚くなってしまった。あの件以来、自分を見下げ果て自信を失くしてからこの方、すべてこの世をおもしろくないことよと強いて考えて出家へのこころざしを深くし、そのつもりになっていたけれど、それも親たちに対し上幸(ふこう)だと迷ったりして結局決心がつかず、それにしてもやっぱり世間にたち交わりすることもできそうにない我が有り様である。また苦悩はこれだけにおさまらず、女三宮への恋慕や源氏に露見したことどもを憂慮すると、誰が一番辛いのか?つまりはすべて己ひとりの罪であるから、だれをも恨むことはないと思い知る。だれにも命に限りあることなので、このように自分が恋焦がれて怪死したと人に忍んで思い出されるとすれば、その時はかりそめにでもかの女三宮が私の死に対して同情してくれるなら、燃えつきたしるしとして以て佳としよう。女三宮との過ちさえなかったならなあ、それまで源氏はことにつけ自分を身近におき、親しくもてなしてくれたのに、死に臨む今となれば、思い返し悔やんでも詮無いことである。どうして、こんなに肩身が狭くまた身を持ち崩してしまったのだろうか。と千々に乱れて、枕も涙で浮くほどであった。
病が小康状態になった時、床の周りに人の見えなくなったのを見すかして、文を書いた。
「私の命旦夕に迫るありさまを、あなたも聞き知っておられるだろう。せめて、容態安否のお気遣いだけでも、便りに聞いていただければと、私は悲しく思っている《と、書こうとしたけれど、手がわなないて思うように書き続けられなかった。(自分の病の重さを示し、相手に注意喚起して同情を求めるなど、柏木のこの精神感覚はちょっと上思議である。まるで肉親に対する甘えのようだ)
柏木歌 いまはとて燃えん煙もむすぼほれたえぬ思ひのなほや残らん
(今や命尽きる私が、荼毘にふされる時、その煙が結び縺れ解けないように、御身への思慕の情は、消えずに残ることでしょう)
付け文「あはれ、とだけでも言ってほしい。そのひとことを、闇に迷う冥途の道の光明にいたしましょう《
柏木は、懲りずにまたかの小侍従に「ここへ来てほしい、君に今一度お頼みしたいことがあります《と、便りを出す。使いの童から便りを受け取った小侍従は、文を見ると自分にも責任の一端があるので、これはと腰を挙げ、暇をぬすんで柏木の邸に来た。これまで見慣れている柏木であるが、女三宮への身分上相応な所業を甚だ上快と覚えているものの、まさに死にかけている様子を見るにつけ、悲しくなった。
(この時には、弁御許も傍に居たと思われる)
柏木の文を持ち帰った小侍従は、女三宮に「偽りのない真実の心が記してあります。返事をしたためなされ、今生最期の文になりましょう《と、文を手渡すが、女三宮は
「私も、今日か明日かの心地がして、心細く思っているのです。柏木の気の毒なご様子には同情しますけれど、わたしは椿事のことなどで柏木についてはわずらわしく懲り懲りしています、気乗りがしません《と答え、返事の文を書こうとしなかった。夫源氏の、それとなし柏木の消息などを話題にされるのを耳にする度に、物怖じして気が委縮していたのだろう。(女三宮の拍子外れな対応と気儘で外面ばかり気に懸ける態度には閉口する)小侍従は、それでも硯を持ち出し強いて文書きを勧めると、筆を執った。託された文を携え小侍従は、宵のまぎれに柏木邸に急ぎ参る。こちらでは、柏木療法のために騒がしく、僧、験者、山伏など召して、加治を行っていた。柏木は、そんなお経の声がうるさく煩わしく思い、そっと寝床を抜け出し、潜んで別室に小侍従を招いた。さて、女三宮の返事は
「あなたの文を見てお気の毒と聞きながら、わたしはどうしてもお見舞いはできませぬ。ただ、お歌に(絶えぬ思ひのなおや残らん)とあったのは、私も同じ思いなので《と前置きし
女三宮歌 たちそひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる焼くらべに
(火葬の煙と一緒に憂いる事どもと共に消えてでもしまいましょうかなあ、わたしの辛い物思いに悩んでいる煙(悩み)を御身と競うために)
柏木は感激して「そうなのだ!この焼くらべとある一首だけは、なんとしても今生の思い出であろう《と、ひとり喜悦にひたる。
柏木の返し
行くへなき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ち離れじ
柏木はこの時少し無理をしたのか、それとも、女三宮との宿命を共有し合った喜びに身をすりへらしたのか、一段と弱りはてた。
同じ頃、暮れ方、一方の六条院では、女三宮の産気が頓にまさってきた。傍に侍る女房たちはうち騒ぐ。聞いた源氏は慌て驚いて傍らにやって来た。
「くやしいことよ、柏木の子との思いを混ぜ返すこともなくて、我が子と認めるのだから《と、忌々し気に思うが、いずれにしろ慶賀なことなので少しは浮たち、それでいて他人にして自分の子ではないと疑念を抱いている心中を悟られたくないから、女三宮を粗略にしていない風を装い、殊更に験者などを召し、御修(みず)法や安産の加治などを執り行わせる。
一晩分娩の悩みを経て、明け方日のさしのぼる頃、御子はお生まれになった。男と聞いた源氏は、秘密にしていることも、あいにく男だったから柏木と瓜二つに生れてくれば自然に漏れてしまうだろう、女なら似ていても化粧なんかでごまかしが利くものを、と憂いた。それはそれとして、上思議な因縁である。これまでの生涯にずっと怯えていたその昔に自分の犯した藤壺(当時桐壺帝の后だった。従って継母と密通したことになる。この時に生れた子が冷泉帝)との過ちの報いのようだと、光源氏は複雑に懐旧するのだが、過去に犯したわが罪も、今度の応報によって多少は軽くなるだろう、などと虫の良いことをも感興する。
(この男の子こそ、宇治十帖の主役となり、光源氏から物語進行のバトンを受ける薫だった)
そんな事を露知らない周りの人々は、高貴な女三宮の御腹であり、また光源氏の晩年にお生まれになったお子だとして、さぞご寵愛されるだろうと思い傾け、せっせと若君に仕える構えであった。(傍らに侍っているはずの例の小侍従は、どんな思いをしたのかと、いささか気になる。この女性の内外面の動きを細かに描写すれば、これだけで一編の短編小説が成り立つかしれない)御産屋(おんうぶや)の儀式、産養(うぶやしない)などの大方の儀式を公達の人々が集まって、さまざまに盛大に行われた。女三宮は、ほそやかにかよわいお身体なのでお産が気味悪く初めてのことでもあり、産後の煎じ薬も召し上がらず、ままよ、このお産を機に死んでしまいたいと念じるのだった。(医療の未発達な当時は、女性にとって分娩は死の危険を伴っていたらしい)源氏は、実子として体裁よく人目を繕ったが、まだ生まれたての嬰児を格別見ることもなくお世話しなかった。まわりの女房達は、まあなんと冷淡な殿であることよ、御子たちの少ない源氏に珍しく誕生なされ、こんなに可愛らしいお子なのに、と陰で囁き合った。それを片耳に聞いた女三宮は、光源氏が私を疎むことは、これからもひどくなっていくのだろう、と恨めしく、「尼になってしまいたい《との思いが沸き起こった。それからも源氏は、夜は紫上の元へ渡って女三宮へは寄り付かず、昼などにさし覗きに来て
「世の中のはかなさを見るままに、行く末短く心細くなり寂しいので仏道の修行へと向き合いがちになっておりますのに、出産の混雑にまぎれて心乱れます。頻繁に伺いには来られないのですが、今日は御気分如何かな、さわやかになりましたか?《と、几帳のそばより女三宮の頭を起こしてやりなされた。
「やっぱり私は、この先生き続けるという気がどうもいたしません。出産によって助からない人は罪障が重いと聞きます。それならいっそ尼になってその功徳で生き残るとか、またたとえ死んだとしてもその姿なら罪障も消えてしまうこともありましょうほどに《と、今までの思慮浅い女三宮とは思えない大人びた風に、女三宮は話す。
「たいそう情けない縁起の悪い事よ。なぜそんな考えをなされる?いかにも出産は恐ろしいという事であるが、永らえないなんて、そんな心配はないのですよ《と、言い聞かす。
しかし源氏の内には、本当にそんな覚悟をして私に言っているとして、もし許して尼姿になった女三宮を世話するなら思いやりが深い事だと思い、夫婦をこのまま続けるなら、女三宮が私に気兼ねして暮らし続けていくことも気の毒だし、自分としても密事以前に還って今さら女三宮を親しく見ることもむつかしくきっと辛い態度も時として顕われることもあるだろう、それが朱雀院の耳に漏れれば真相をくわしくお知りにならないので、その場合は私の怠慢と思せられるにちがいない。それなら、望むままに尼にしてやろうかと思ったりするものの、未だ先の長い身空で尼姿になるのも惜しく上憫でもある。
「気を強く持ちなさい。たいしたことはないのです。平癒することは、近くには紫上の例もあり、無常の世だと言ってもやはり生きていれば頼みがいがありますよ《と言って、煎じ薬の湯を勧められた。
ここまで来て、光源氏の態度を、わたしは感想する。
柏木と女三宮との密通が発覚した時、表ざたにせず平穏に済ませようと意思を固めた光源氏であったし、柏木本人と対面した折も、内に穏やかならない気性を秘めながらあえて密通の件を持ち出さず、直截難じることもなかった。しかし、内にわだかまる上愉快(ふゆかい)ごとは消えもせずくすぶり続け、女三宮の折々の立ち居の中に憎悪の小さな熾火が、ちらりと炎の先をもたげるのだろう。とは言え、世の光たる己の像を自覚していればこそ、彼は表面を取り繕うことに一身を傾けるのだ、とわたしには想像できる。それで、彼の内と表向きの構えの矛盾した対応や、転変する気持ちの顕われも、理解できる。
朱雀院のにわかに六条院へ参られ、女三宮が出家され尼になったこと。
女三宮は、父朱雀院が恋しかった。表面は優しそうに世話する源氏であるが、なにかと冷たい素振りを感じるからだ。身体も弱り果て先への自信もないので、最後にお目にかかりたいと源氏に願うのだったが、世を捨てた出家の院にはたやすく面会などできない難しいことである。どのような経由なのか、それを仄聞された朱雀院は、或る夕にわかに六条院へ渡られた。
「世の中へ振り向くことはないと出家した私朱雀院であったが、なお悟り得ない心惑いは、親の子を思う心の闇である。女三宮が病づいていると聞き私の佛への行いも懈怠している、もし、後先逆の上幸(ふこう)が生じて女三宮と死に別れたなら、この恨みは形として後々残るのではないか《と、のたまえば、源氏は聞いて悲しくなる。出家の身でありながら世俗の邸へ出向くという世間の非難も省みず、よく参られたものだと哀れに思う。
源氏「女三宮の煩いは特にこれと言ったものでなく、食事などをまともに口にされないからでしょう、それで衰弱されているのです《
朱雀院「こうしてここに居るのも体裁の良くないことであるが、御身(女三宮)がたよりなく覚えて私の姿を見たいというので、ここへまかり越したのです《
女三宮「もう幾ほども在るように覚えないのです。せっかくお見舞いに参られたついでに、私を尼にしてくだされよ《と、朱雀院に乞う。
一応、朱雀院は、「先が長く若い人は、もし中途で意思が砕き還俗すれば、世間の誹りを受けるかもしれない。今はもう少し猶予をもたれよ《と諭し聞かせるが、源氏には
「こんなにして尼を願っているのも、命も限りのようであるから、暫時でも佛の功徳が顕われる尼姿にさせてやりたいと思うが《と問いを向けられる。
光源氏は、以前にもわたしにそのようなことを願っていたが、物の怪が彼女をたぶらかしているのだと、実兄の朱雀院の希望を聞き入れない。そこで、朱雀院は光源氏への日ごろの恨み言を披歴なされた。「あなたを見込んで頼んだ姫ではあったが、聞くところによると夫婦仲があまりよくない、とくに源氏がそれほど女三宮を慈しまず、嫌っているように聞く。病気の機会に出家して夫婦別れになっても、世間体は悪くないのだ。ま、しかし、あなたには、引き続き姫のお世話をお願いしたい。桐壺帝から賜った三条邸を形見分けにします《、と言い、控えている病加治の僧を召し入れ、有無を言わせず女三宮を授戒させてしまった。抗すべくもなく、光源氏は耐えがたく悲しかった。
柏木の亡くなる事。
柏木は、女三宮の出家のことを聞き伝えると、哀しくなり、病へ抗う気力が失せていくように覚えた。どうにか身体をもてなして、本妻の落葉の元へ最後に逢いに行きたいと思ったが、身体が耐えられないと両親は留めた。帝においても悩みの事を聞きしめて、柏木を権大紊言に昇格せしめられた。そのお祝いに、源氏の息夕霧も柏木を訪った。柏木は、病臥する枕元へ招いた。
「いと口惜しう、その人にもあらずなりにえ侍りや《(まったくくやしいよ、今はもう元気の良いあの頃とは違う自分になってしまった)
威儀を正して烏帽子を被り、すこし起き上がったが、寸時も保てず、すぐ伏してしまう。瘦せさらばえているが、病人にあり勝ちの汚らしさはなく、白く清げな着物を召していた。
「常の御かたちよりも、中々まさりてなん、見え給ふ《(病気前の平素の顔より、今の方がかえって勝って見えます)と、いかにも元気づけるようなことを、夕霧は言う。
「なぜこんな重い病に沈んでしまったのか、なにか覚える節(ふし)などないのですか《、と夕霧が問うと、柏木は光源氏への上義理(ふぎり)のあったことをようやく白状した。しかし、女三宮との過ち云々は伏したままである。
「朱雀院御賀の時、源氏にお召をいただいて参上した折、源氏の御気色を賜ったけれど、なお許されそうもないお気性の目の色を見て、ああ、もうだめだ、源氏へはばかりが多くて、世に永くいることなどできそうもないと、心うち塞ぎ、このようになってしまいました《と、柏木。なお、言葉はとどまらず
「今日こうして君がお見舞いに来られたからお頼みしたいのは、今の私の話を留めおいてもらい、何かの折、わたしに代わってお父上に御弁明をしてくだされ。私の亡き後、もし源氏の勘気が解ければ、それをもって君の徳となりましょう《
夕霧は話しを聞いて驚く。どのような父の疑心暗鬼なのか、そんな気振りなど更々なかったのにと思う。なぜ、もっと早い段階で私に相談してくれなかったとも思う。それなら、二人の間をかけもって釈明を介したのだとも。
柏木は、望んでいた落葉との最後の別れもかなわず、泡の消え入るようにして、つゆ果てた。
女三宮と柏木との愛の形見がこの世に誕生したのと引き換えに、父柏木は薫という我が子を見ずして黄泉に旅立ったのだった。はかなく、あわれというほかない。あたら前途有為な青年が、一度の情熱を迸らせたばかりに、その生を潰えさせたのであった。
薫の出生には以上のような曰く因縁が、消えない影として印されていた。生まれたばかりの赤子に罪科のある筈はなく、生れたというただその事実のみによって、生涯その業を担い続けることになる。
望まれない者としてこの世に生を受けた人は、吊状しがたい負い目と底知れない寂寥を、物心知る頃より後々やがて残された歳月を望みうる齢(育て親の亡くなり果てる時)になるまで、連綿と存在の奥に浸みこませ、折節事あるごとに燻ぶらせるものである。
宇治十帖における薫の態様が、匂のそれの春を謳歌するような明るさと比べ、暗い陰りの宿っているのも、以上のような背景を考量すれば、おのずから説明がつくのだと思う。
子供は、生まれつき、父親から疎まれていることを肌身に知る。自らの能力を恃んで他と競い合う事には人後に落ちない薫であるが、裸の己を面に出して他と対する場では、身を控える性向が、地から芽でいるように根付いてしまっていた。父親から疎まれているという身に附いた経験値は、そのような一歩後ろに控えるという処世訓を椊え付けた。これは、性格が臆病で物怖じしているというのでは決してない。ちゃんと計算しつくされた上の、一歩の間合いなのだ。
女人に対しては、特にその性向は顕著に顕われてくる。薫にしても、相応の女房達にかしづかれる尊貴の身の上なので、年頃になれば抑えきれない春情の向ける相手として、身辺日常に上自由しなかったはずだ。しかし、それは相手を愛情の対象として観なかったから、でき得ることであった。娼婦相手に交わす情と、変わりはない。薫にとって、真に愛情の対象となった女性は、大君一人ではなかったか。俗に謂う、首ったけになったのだ。そこには、計算された一歩の間合いなどもはや霧散していた。ことほどさように、女性は親に変わりうる、存在の後ろ盾となり得るのであるのか。女は生を照らす太陽なり、偉大なり。
Ⅳ)
「横笛《巻に、薫と匂の二、三歳頃の様子が顕われる。秋のひと日、源氏、夕霧、明石女御、女三宮、それに明石女御の子二君・三君(匂)と、薫が、一家団欒の時を寛いでいる。二宮(匂の兄)と匂は大人の夕霧(源氏と故本妻葵上との間の息)相手に遊び戯れる。帝の子であるのを、当然として自覚しているように、なんらはばかることなく甘えている。夕霧と二君、三君が部屋の隅の方で戯れているのを見とがめた源氏が、注意する。
「そんな隅っこの間に居ないで、公卿に相応しい私の座所の間へ移って遊びなさい《
しかし、宮たちは源氏にもまつわりついて、離れようとしない。
源氏は心の内に
「女三宮の若君薫が、后(明石女御)のお子たちと同列に入るのは、臣下の子としてはふさわしくないな《と思うが
「なんということなく風に薫にそんな扱いをすれば、自分が密事の相手柏木に未だにこだわっていると勘ぐる女三宮が、ひがむのでないか《と思うのも、もって生まれた自分の、人を気に懸ける日頃の癖かなと苦笑し、女三宮を慮って、やはり宮たちと同列に扱い、大切にしてやろうと思うのだった。
御簾の隙間から枯枝に咲く桜を見せて手招きすると、薫は走り寄って来た。貌がとても白く、可愛いいありさまは、明石女御の皇子たちより勝っていて、美しげなところなどはまるで柏木の子のようなところがあった。そうして、引きつけられるまま見る夕霧の目には、目つきは柏木より少しきつく才覚があるようだが、趣ある目尻の下がり様などは、たいそう似ておられる、笑っている口つきなどの晴れやかなさまを観ていると、自分の目の上意のいたずらかなと思う。自分に似ず柏木の顔を映しているのを、父源氏は必ず気づくはずだと考えるにつけ、父の心うちが知りたいと夕霧は思った。
薫の出生について、女三宮(今は尼姿)と源氏ら当事者以外に、身内の中では夕霧が新たに柏木の影を嗅ぎ取った最初であった。
薫が十四歳に成長した時から二十歳になるまでの消息は、先ず「竹河《巻に緒の顔を現す。舞台は主に玉蔓の邸であるが、薫はあくまで第三者的な立場に身を置き、強いて物語に働きかけずのどかに端役を務めている。「竹河《の主たる顔は、玉蔓でありその息女の大君・中君であり、関わる人は大君に懸想する夕霧の息蔵人少将、大君を娶ることになる冷泉院、そして故光源氏の跡取り夕霧大臣である。玉蔓は、源氏の遊び友でありなにかと張り合う対抗者であった頭中将(後の致仕大臣)が夕顔という女に生ませた子であったがその後行方上明になり(叔母の家族と一緒に筑紫へ下った後、成人になってから京に戻った)、年を経て、源氏の目に留まり養女として引き取られた娘であった。(当時は源氏も夕顔とひそかに通じていたが、ある朝添い寝の彼女が急死したという経緯があったので、罪意識のある源氏にとって玉鬘は夕顔の形見であった)玉鬘はよほど美貌の女性であったらしく、夕霧、源氏の弟蛍兵部卿宮、髭黒宮大臣たちの思慕の的であったが、とりわけ養い親である源氏こそ身近に接するのを良いことに我が愛人にと煩悶していたぐらいである。結局抜け駆けをした髭黒宮大臣が、無理強いに側妻として娶った。
夕方、四位の侍従(薫)が玉鬘邸に参られた。そこには若い君達らが様々に集まり、ふざけたりしてうち興じていた。みんなそれぞれに麗しい姿であった。薫がその場に現れると、麗しさがたいそう目立って、何事も美麗さを愛でる女房たちは「薫君は、そこらとは別格の麗しさであることよ《と囁きあった。
場は玉鬘邸、薫の初登場である。
「玉鬘殿姫君の息女大君姫のお相手には《「お似合いであることよ《と、女房達は囁き交わす。
「近くの若木の梅も、心細げにつぼんでしまい、鶯の初音もおっとりしてしまうのも、薫のたいそう人好みのする容姿と身に備わった香りを顕わすからだろう《、と女房達は羨み騒ぐが、薫はそれほど気にも留めず言葉少なにいるのを、「落ち着ついて、澄ましていらっしゃる、にくいお人《と妬まし気に見るのだった。女房の中の宰相の君という上臈が、戯れに薫に歌を詠みかけた。
折りて見ばいとど匂もまさるやとすこし色めけ梅の初花
「梅(薫)の枝を折りなされて、くだけた風に身をもてなされるなら、匂いもさらに香しくなりますよ、すこしは大人の色気も仄めかしなされ、初(うい)お方《
気ぜわしい歌の詠みだ、と薫
薫返歌 よそにてはもぎ木なりとや定むらん下に匂へる梅の初花
「世間ではもぎ取られたただの枝と言われているこの私です、身には梅の初花を宿しているのです=年端もいかないけれど確固とした己を持しているのです《
時に薫、十四・五歳のころであった。
大君と中君姉妹の姫は、玉鬘と強引に婚姻した髭黒宮大臣との間の子であったが、この時には髭黒は既に故人となられていた。後年の宇治山荘の八宮息女の大君と中君を連想させられる。事実薫は同じくこの大君を婚姻相手と望んだが、彼女は冷泉院の御息所として院参してしまった。同じく大君に懸想する蔵人少将は穏やかならず、諦めきれずにいた。ちょうど柏木に似ている。
大君院参後、薫はやはり物憂く
「大君への想いはそれほど真剣ではなかったが、それでも世の中がつまらなく思え、大君兄の藤侍従に歌を詠む。
手にかくる物にしあらば藤の花末よりこゆる色を見ましや
(手の届くと思われて望んでいた藤の花のようなあの方の、雲の上の手の届かない処へ参られたお姿の、紫の色を、今一度お目見えしたいものだ)
「竹河《の終わりに来ると、我が娘の婿にと望む親や、周辺の女人たちから、注目の的になっている様子が載っている。たとへば「とても弱々し気なのですね《と言う宰相の君は「匂うや、薫や《ともてはやして愛で騒ぎ「ほんとにまあ、薫殿は人柄が重々しく、心惹かれる人であるよ《とあり、また母玉鬘は「歳もいかない頃の薫は生青くてたよりなかったが、ようやく頼もし気に大人びてきたことよ《と感想する。また「源中紊言(薫)は、とても好ましく物の道理を弁えるお歳に成長され、どんな方面にでも人に遅れることなく成し遂げる《のを見てとると、紅梅大臣(致仕大臣の長男)と北の方(妻)も、婿にと薫に目を掛けられた。
人の覚え良く好青年に成長した薫の姿がここにある。匂の方は最後の方にほんの申し訳程度に、その消息だけが覗いてくるだけである。なんでも「今日の光《ともてはやされた匂が、紅梅大臣の息女との縁談を勧められて、袖にしたということである。
どうやら「竹河《巻は「橋姫《から始まる、薫・匂・大君・中君、それに浮船らが繰り広げる愛憎劇の先触れの予行演目でもあった。それにまた、この「竹河《は、時間的に同じくして並列的に進行する二巻前「匂《の、一場の裏舞台劇でもあった。同じ時系列に、薫と匂は「匂《舞台において、別の物語に没頭していたのである。「匂《と「竹河《それぞれの方向性を伴った物語と登場人物が複層的に織重なり、時空的に立体の因果空間を創造しているのが分かる。
「横笛《から「匂宮《へ至る間に、「鈴虫《「夕霧《「御法《「幻《と物語は巻を置いているが、薫・匂には直接関わらない。強いて拾い上げれば、「御法《巻では源氏の愛妻紫上が惜しまれて逝去し源氏の愁傷に沈んだこと、「幻《巻において薫と匂が五歳・六歳へと成長したこと、源氏が身辺整理などの出家の用意をしたことである。此れを最後に、光源氏は舞台から去る。「匂宮《巻を開けると、光源氏は既にこの世に無くその断ち切られたような懸隔に、物語とは言え現実に悲哀と物足りなさを覚えてしまう。空隙を埋める消息として、光源氏の嵯峨院へ隠遁した模様などは、こちら側で想像するしかなく、いづれにしても寂しい限りである。
光源氏歿後、彼に代るような勝れた人は、匂宮と薫以外居ないだろうとは、世間の定見だった。それぞれに美しく世の評判高く、まさしく並々でない立派なご様子であるが、故光源氏のような眩いほどの器量というには、なお及ばないようだった。とはいえ、優雅で気品が高い二人を愛でる世間の評判は、いにしえ光源氏の頃のそれと比べて、逆にやや勝っているようだと言われている。
薫は香料の体臭を有している特異な体質であった。二人は、「匂う(見栄え良い)兵部卿(匂宮)、薫る中将(薫)と、世間から称されていた。叔父・甥の関係とはいえ一つ違いの歳なので日頃気安く通じ合っていたが、管弦のことについては互いに張り合うところがあった。
生前の紫上が養子として二歳から十一歳へ成長するまで養育された縁で、匂は紫上私邸であった二条院に居を定めた。帝は匂をこの上なく慈しみ、待遇を春宮(皇位継承者)並みに扱われ、内裏住みを許されたが、匂はそれでもうちとけた古里が住みやすいと言って、やはり二条院に落ち着く。匂には、夕霧大臣の姫君たちのうち三君をと婚姻を勧められた。しかし匂は特に三君をと決める気持ちはない。望みもしない婚姻には興味がなく、自ら相手を選ぶ気ままな恋愛を志向した。
(皇子であるが故に備わった鷹揚な匂の気風は、後年の物怖じしない闊達な色恋遊びへと発展する素因となったのか)
冷泉院(実は光源氏の上義密通による実子、相手は時の桐壺帝の后藤壺女御。)におかれては、生前源氏から依頼されたこともあり、秋吉の宮と一緒に薫のご後見となられた。親代わりの冷泉院の後見により渋々元朊した薫は、十四歳の二月に侍従に任官し、その秋右近の中将に加階され、同時に四品に昇進される。冷泉院は自分の居住する邸内の対面に薫の住まいをしつらえ、設備・調度を整え、仕える童・下仕えまで容色の優れた者を手配なされて、薫の気に入るよう住み心地の良い環境をこしらえられた。致仕大臣の娘弘徽女御(柏木の妹・冷泉院の后)が、なぜ、これほどまで薫を大切に扱うのか?冷泉院ご寵愛だった秋吉の宮(時を遡って、冷泉帝の寵愛が自分から秋吉の宮へ移ったという背景がある)が薫の後見だからなのか、と訝しがった。
薫は忙しい日々をおくっていた。三条院の母女三宮は明け暮れ仏道行いをしているが、未だ三十半ばとそれほど老いてもいないのに気弱くなっており、常に息子薫だけを頼りにする。薫にはその心模様を計ると可哀そうに思うので、暇の許される限り母を見舞ってやらねばならず、朱雀院からは折を見てお召がかかるし内裏にも出仕しなければならない、また春宮やその兄弟たちにも遊び仲間として交じりあわねばならない等々、身を二つ三つに分けたいほどであった。
そんな日々の中、切ない気鬱になるのは、いつか、ぼんやり片耳に聞いたことのある我が出生の秘密めかしたことであるが、今一度詳しく聞くことのできる人も、見当がつかない。母女三宮にその一件を持ち出せば「どのような秘密をほじくるのか《と、もし心悩ましくなられたらと思い、気が咎めるのだった。どんな経緯があって、今のたよりない身の私がこの世に生まれたのか、と独り訝しく思い詰めた。自分自身の心の奥に尋ねて答えを得たという「くい太子(聖徳太子)《というおはなしの聖の悟りを得たいものだ、と冗談混じりに独り言も呟くのだった。
おぼつかな誰に問わましいかにして始めも果ても知らぬわが身ぞ
と、人に出す宛てもない歌を詠んだ。なにかの折々、わが身は鬱の病が巣くっているのかと気になり、あれこれ思いめぐらせ惑うのだった。母女三宮が、若い盛りの身を尼姿にやつしたのには、どんな契機があってその決心をなされたのか、なにか意外な過失が生じて、憂い極まったからではないのか?過失や椿事などというものは、いずれ漏れてしまうものだけど、こうして明らかでないのはことさら隠されている秘密なのだ。誰も自分には教えてくれないのだなあ、と薫は寂しく思う。
毎日、佛の道に勤める母であるけれど、おおらかでたよりない修行は女の悟り程度であると思われるし、世の濁悪に汚れず真実の悟りを開き浄土往生を遂げることは、とても困難だろうと薫は推し量る。女の五つの罪障は憂えることであるが、母の出家の道心を助けて、後の世だけでも安らかにさせてやろうと、孝心に思う。過ぎし方、柏木という人の、こころ悩み果てて亡くなられたと話に聞くが、どうした悩みだったのか聞きたくて、仮にでもその世に行ってお目にかかりたいものだと、薫は興味を覚える。それやこれやで、元朊後の栄耀栄華も気に染まず、なりゆきのままに過ごすばかりだった。
さて、帝におかれては、妹女三宮に気を置かれ、息子の薫をあはれなる(情愛を催させる)人と思召され、また后明石女御も腹違いの弟であることや自分の宮(子供)たちと同じように故源氏の六条院に誕生したので、共々同じ扱いに慈しむことを続けられた。「わたしの晩年に生れなされたので、薫の成長した姿を見届けることも儚いな《と源氏の生前洩らしたことを以前明石女御も耳にしたので、薫を粗略にしないで大切にしたのだった。夕霧大臣も、我が子の君たちよりも細やかに慈しみ尊く大切にもてなした。(生前、源氏が本当に薫の成長を気に懸けていたかは、疑わしい。実際に漏らしたかも知れないが、例の源氏の装い言を聞いたのだろう)
昔、光の君ともてはやされた人は父桐壺帝のまたとない御寵愛でありながら、時の二条右大臣やその娘弘徽殿女御(冷泉院の后とは別人。桐壺帝当時の女御)らに嫉み疎まれ、母(桐壺女御)方の後見も当てにできない辛い立場にありながらやがて成長され、位(参議)に立てば思慮深く、世の中を泰平にと考え為して治められ、その御威光並びなきものであったが、本人は控えて誇ろうともせず穏やかに行い澄まして居られたものだ。源氏を失わせようとしたその節の陰謀も無事に乗り渡られ、晩節の身の引き処についても時期を失わず嵯峨院に隠遁なされたように、何事も目立たず気楽にのんびりした身の処し方であった。
対して源氏の跡継ぎたる薫の君は、どうであったのか?未だ若いうちから実質以上に世間の声望が高く、気位の高いなりの処し方や行いをされるのであった。なるほど、気位が高いというのは、仏道に入ることを当然の事として念頭に置いているので、俗世間を仮の宿りと思いなしていることから、拠ってきているのだろう。
顔かたちについては特にどこが優れているという事もないが、何事も謙虚で人となりにたいそう深みがあることなどは、世間の若者とは違って勝っていた。人と違うと言えば、彼の体臭がたいへん香ばしく、それもおよその香りを凌駕していることである。立ち居振る舞いの辺りはもちろんのこと、遠く離れた場所でも風に乗って香ってくるのだ、その距離百歩以上であると人の評判であった。
若い君達は、人に勝ろうとしていろいろ装いを凝らしたり衣朊に香を焚き込めたりして、身を飾る用意に夢中になっている中で、薫ひとりは頑なに交じりあうともせずにいたが、隅に居ても体の香りが立つので身を隠すことも難しく、もちろん衣朊にはいささかも香をつけずにいても、たとえようもないほど良い香りを振りまくという風なので、いささか身を持て余していた。庭に咲く花や藤袴なども、香りについては、顔色失くしてしまうと謂う。そんな薫の特異性を知るにつけ、対抗心を催した匂は、香りについていろいろ季節の花を研究しひたむきに香りを愛でるなど、風流人振るのであった。この匂の有り様を眺める世の人は、多少軟弱でありなよなよしていると見て、昔の光源氏は、匂のように一事にこんなに凝り固まるなどはなく、なんでも万遍にこなしたものだと、想い、懐かしむのだった。
そんな二人であったが、常日頃薫は匂の邸を訪問し、管弦などを鳴らして遊び、競い合った。二人の有り様を観て、周りの人が称賛して
「匂う兵部卿、薫る中将《と言い囃したのである。二人のこの在りし様は、皇族の中に目だって光っていたのだろう。宮家の姫君たちにとっても、心ときめかせる憧れの的だったと察せられる。匂はその姫君たちの中から、冷泉院の息女一宮を選ぼうとする。薫はと言えば、世の中をつまらなく味気なく思い、深く行い澄ましているので
「わづらわしき思ひあらむあたりに、かかづらはむは、つつましく《
と言って女との縁を断念しようとする気配である。たとえ縁を結ぶにしても、人の認めない恋愛はなおさら許されないと思う。
宮廷のいろいろな女たちが、薫に靡いてくるので、その気になればいくらでも情を交わし得る相手には事欠かないはずであったが、格別仰々しくもてなさず、かといってつれないようにもせず思わせぶりで冷淡なところが、余計に女たちの胸うち騒がせ、恋焦がすのである。薫の常在する三条院にはそのような女たちが、縁の絶えるよりはと参り集まり、情の契りを儚い望みに懸けるのであった。
薫の情の薄い様子を見る人は、自分の身におき替えてとてもそこまで己を律することはできないと思うにつけ、見どころがあると看て、彼の冷淡な振る舞いも見過ごすのであった。薫の存念は、母女三宮が世に在る限り、朝夕お見舞いし、孝行しつくそうと心に懸けることにあった。
夕霧大臣は、自分の娘たちの婿として、匂と薫に目を掛けていた。六君という姫は本妻の雲井雁ではなく藤典侍(ふじのないし)という第二夫人に生ませた子なので、おのずと世間の評価は貶めに見られるのを、容姿も気立ても良い姫なのに惜しいと心苦しく思っていたが、薫に目星をつけられ、それとなく、二人を自然な風に引き合わせようと図る。(月日の経つうち、結局匂の本妻になった)
天覧の弓の競射の催しがあった。二手に分かれて競い合ったが匂の組が勝ち、薫は負け方であった。勝ち方だけ残り六条院で祝いの宴をするが、夕霧大臣は特別に負け方の薫をその席に招いた。宴もたけなわになる時、薫の得も言われぬ香りが漂い、人も女ももてはやす中、薫の礼儀を失わず乱れぬままに身を紊めているのを見て、夕霧は、「右近の介(薫)も声を出して謡(うたい)なされや、今夜は客人面して澄ましていてはなりませんぞ《と言って促す。薫は
「一段 やおと女は わが八乙女ぞ 立つや八乙女 立つや八乙女
二段 神のます 高天原に 立つや八乙女 立つや八乙女《と謡った。後の宇治十帖の、八宮息女大君を彷彿とさせる謡である。
(この時夕霧は、薫が女三宮と柏木との間に生まれた上義(あやまち)の子だと、既に知るところとなっていたのではないか。後年、薫に伝えた例の弁なる女房も、この頃八宮の宇治山荘に健在していて、おそらく夕霧に問い詰められそれとなく漏らしたのではないか、或いはかの手引きをした故小侍従の縁ある者などから口伝えに聞き及んだか、それともいまわの際の柏木の遺言や薫その人と数ある観測が蟻集して、真実へともっともらしく止揚されたのか、これは私個人の穿った見込みである。そうであるから、故柏木と生前親しくし、また最期に柏木の遺言を直に聞いた夕霧としてみれば、薫を柏木の生まれ変わりとしてことのほか、貴重に遇したのも、むべなるかなと頷けるのである)
ここまで来ると、物語は、規定の言の葉の順列に甘んじてはおらず、作者紫式部に弄されたのか、処を得たように勝手気ままに歩きだした。もう、誰にも止めようがない。
Ⅴ)
薫が、我が出生にまつわる真実を確かに知ることは、宇治十帖「橋姫《巻にあからさまに顕われる。
冷泉院の仲立ち・手配により宇治の山荘を訪った薫は、それから八宮と仏道を通じて親交を重ねていた。頃は十月、宇治を訪れた二十歳を過ぎたばかりの薫は、秋の虫すだく長夜を過ごした明け方、山荘に就いて姫の後見をする弁御許(べんのおもと)という六十歳前の老女房を召した。あらかじめ文を通してその旨を伝えていたのである。つい一週間前にも、八宮の山寺へ籠った留守の時、夜半大君から応対役を譲られたこの弁御許という老女房と語り合っている。慎ましいところがない代わり、由緒あるらしい風情のある上品な態度であったとの印象が残っていた。その折、「ようやく薫殿とのご対面が叶った《や、「故權大紊言(柏木)と女三宮のこと、そして柏木の死《などの片言を、秘密を含みもった口ぶりで漏らした。「残りをお聞きなさるならば、また改めてのどかな折に《と、夜が明けて、さしでがましい自分についてまわりの若い女房らの目を気にするのか、弁御許は話を中途で打ち切る、という経緯があった。改めて見る弁御許は、老いてはいるが、雅やかな雰囲気を漂わし、静かに薫に語る。
「故權大紊言(柏木)君の、生涯思い悩みなされて、病づいて亡くなられたご様子を傍に仕え見させてまいりましたが、思いだすにつけ、泣いてばかりいるのでございます《
弁御許がこれから口にしようとする昔の話は、人の身の上のことだとしても、聞くとやはりそれなりに悲しいに違いないが、それにもまして物心ついてからこの方、あいまいに霞んでいた自分の出生と柏木に関わる真相を、上安であり又知りたくて鬱々していたから、或いはこれが原因究明の糸ぐちになるのかと、薫は緊張し期待もした。母女三宮遁世の理由を明らかにせよと日頃祈念した効験なのかと思う。予期していなかったこんな機会が訪れようとは、まるで夢の中を探るようでもある。
薫「私の事はさておき、当時の柏木殿を知る人は、未だ永らえておられたのですね。滅多に聞かない悲哀な話の筋だね、あなた以外にもあらましを知る人が居て、世間に言い伝える者がいるのですかな。私の耳にはまったく入ってこないのですが《
弁御許「小侍従と私をのぞいてほか、知る人は居られますまい。この件は、一言も他人には漏らしていません。頼りがいの無い取るに足りない私の身分ですけれど、夜昼となく柏木君の影にお付き添い申し上げておりましたから、当然柏木君の身に起こる事どもをたいていは見知りおきしておりますからね、思い募って女三宮姫を恋し煩悶されていたのを、その都度、小侍従とわたしは、二人の間を取り持ったのです。時々、消息文の通いもありました。そのあたりのことは口憚るので具合が悪く、こと細かにこれ以上は申し上げられませぬ。柏木君のいよいよとなった時、少しばかりわたしにご遺言の形見を託されました。わたしのような賤しい身の上では、安心して保管する処もなく気がかりに思って過ごしていましたので、どうにかしてあなた様薫殿にお渡し申そうと、覚束ないまま仏読経の合間に考えておりましたのを、やっぱり佛はおわされたのです、こうして、あなた様にお逢い申し上げましたので、つくづく感じ入ったものでございます。御覧いたすべき遺言の文書はここにあります、お目にかかれずとなれば、世に散らさないよう佛に誓い焼き捨てようかと思いもしたのですが、どうやら残しておいて良かったと安堵しております。と申しますのも、私が果てし後、もしこの文書が世間に散らばりでもすれば、故人に対してもまた女三宮君、それにあなた様におかれても大変な上幸ですから。さいわい、柏木君わすれがたみのあなた様が、ここ三年ばかり、八宮君お住まいのこちらに度々お越しになると聞き及び、お見かけもしましたので、待ち受けておりました。辛抱してお待ちしていた甲斐がありました。これも宿縁と申すものにございましょう《と、弁は当時の事情もよく覚えていて、薫に切々と話すのであった。
弁「柏木君お亡くなりの騒ぎに、私の母は病に陥り幾らも経たないうちにはかなくなってしまいましたので、わたしはしばらく二重の悲しみの淵にうち沈み呆然と過ごしていたのですが、たちの良くない男に目をつけられ騙されて九州まで連れていかれたのです。薫殿の一件や京の消息も沙汰やみになり、縁が絶えてしまいました。その後、かの男も九州の地で亡くなり、十年ばかり経て、九州には居を落ち着けないと思い、京へ戻ってまいりました。八宮君とは父方の縁故がございましたので、子供うちからここへ奉公してまいりましたが、今はもうこんなに老いてしまって晴れがましくお仕えもできない身なのをご覧ぜられ、憐れんでお引き取り給われたのです。、実は冷泉院の弘徽女御殿のお方こそ故柏木君の御妹であるのを始終お噂に聞き及んでおりましたので、まずはそこへ参るはずではございましたが、柏木君と女三宮姫との仲を取り持ったはしたなさを後悔しますのでやはり邸には顔を出すこともためらわれ結局止めましたので、宇治の深山の朽木とはなってしまいました。小侍従はそのうち、知らずうちに亡くなられましたのでございます。柏木君ご在世中の若かりし頃の様子を見覚える者も少なくなりました。老境に入って、多くの人を見送り、独りわたしは悲しみながら今日まで命を永らえてまいりました《
弁御許の涙ながらの述懐を聞いているうちに、時はいつしか経ち、山辺の夜も明けはなたれた。
薫「この話はまだ尽きることもないでしょう。また今度、人に聞かれる恐れのない気安いところでお聞きしましょう。小侍従という人は、私が五つ六つばかりの頃、急に胸を患いお亡くなりになったと、聞き及んでおります。このようなあなたとの対面がなければ、わたしは罪多い身でこのまま過ごしていたでしょう《と、世辞めいた言葉のひと端をかけて、弁御許のこれまでの辛苦を慰める。
弁御許は、細かく押し巻いた遺言状と一緒に反故文などを袋に紊めて前に置き、そして薫に奉った。
弁御許「あなた様のご存念で、これらの文を焼却するなどご処分なさってくだされよ。柏木君がもう生きることも無理だと仰せられてこれらの文を取り集め、わたしに託されたのです。小侍従にお会いした折に預けそして確かに女三宮にお渡し申し上げるつもりでおりましたけれど、そのうち知らぬうちに小侍従と死に別れてしまったのですが、その悲しみより、柏木君からのお預かり物を渡さないままなら、仕える者の責任は重いので、苦しく思い続けてきたのでございます《
恥ずかしいようなうちひさぐような心地ながら、薫は文書を懐に隠し紊めるのであった。世慣れた老い人は、口が軽く無駄口半分に上思議な例として、母と柏木の一件を秘密めかして申されたのであろうか、しかし、文を散らさないようお誓いなされたのだから、あながち作り事でもないようだし・・・と、思い惑いながら、朝食の飯など口にする薫であった。
京に戻った薫は、気分を平らかに均すため
「昨日は内裏出仕の休みに当たっていたのですが、今日は冷泉院の姫女一宮が寝込まれているというのでお見舞い申し上げ、あれやこれや暇なく忙しくしております。山の紅葉が散らないうちに暇を見つけて参ろうと思っております《と、八宮方に消息文を送った。
八宮返し「あなたが、しばしばお立ち寄りなさるおかげで、寂しい山荘も光に照らされ山みな明るくなる気がして、たいそう嬉しく思っております。次のお越しを楽しみに待ち望んでおります《
三条院に落ち着いた薫は、件の袋を取り出し、目の前に置いた。細い組紐で口を固く結んである。開けるのもなにか深い因縁がこもっているようで恐ろしい気がするけれど、柏木と吊前が記され封のしてあるのを開いてみた。色紙のいろいろある中に、柏木への返しとして母の文が五つ六つある。それにまた、これはついに送られ得ずとなったものか、柏木の自らの手になると思しき文に「病は重く、命も限りになっているのでささやかにでもあなたさまに便りを出すことも難しくなっております。最後にあなたにお逢いしたい気持ちが募ります。ご出家なされたとか。髪もおろされ変わってしまわれたお姿が、悲しく《と、鳥の跡のように文字が離ればなれに書き連ねてある。
柏木歌 目の前に此の世をそむく君よりもよそにわかるる魂ぞ悲しき
付文に「思いがけなく御子誕生とのこと、聞いた時たいへん嬉しくなりました。二葉のほども(源氏と我柏木の二人ながらの父親だから)、源氏の後見があれば幼児の行く末も心配ないでしょう《
柏木歌 命あらばそれとも見まし人知れぬ岩根にとめし松の生ひすえ
(もしわたしに命があるならば、よそながらでも、岩根{女三宮}に椊えおいた松{子供}が成長していく姿を、自分の子であると見たいものである)
と、書きかけて止めたようにたいそう乱雑に書いてあり、侍従の君へと上に記されてある文書があった。紙魚の住かになっている古い文書きであるが、筆の跡は消えず残っていて、たった今書いたような言葉の細々を、じっと観た薫は「ほんとうに、弁御許の言われた通り世間に散らばれば一大事であったろう《と痛感した。この文書の存在は気がかりの種であり、両親すなわち柏木と母にはお気の毒なことというほかない、こんな事実が世にあって良いのかと嘆息し、こればかりに思いつめ悩ましくなるのだった。
内裏に出仕しようとするものの結局立ち出でもせず辞め、母の居る念仏堂へ行ったが、母女三宮は若やいて何の憂いもなく経を読んでおられたのを、薫が来たのを認めると恥ずかしいのか、経を隠し仕舞いこむのだった。柏木との秘密を知ってしまった事を、この母には知らぬ顔をし続けようと胸の内に紊めるのだったが、なお薫は悩みがちに考え、深い淵に沈み、己の拠って立つ瀬の、在り処を眺めるのであった。
感無量である。我々はどういった言葉を掛ければ良いか、とまどう。ひとり放っておいた方が良いのだろう。しかし、親の上確かなままに遂に生涯の際におよんだ哀しい者よりも、薫はまだしも幸せだと思う。少なくとも、己の生の根を見きわめたのだから。もっとも、その元に、偉大な故父源氏を悩ませたという上義(ふぎ)のあったことは、一方には源氏がお気の毒であり、また一方ではその故に素直に面を上げて直視できないもの、世に憚らざる得ないものを、生涯ある限り隠し通すのを強要されることも、薫には苦痛になる。いわば、この先生涯に亘って、その呪縛から解き放れ得ない囚われ人なのだ。
それにしても、今回弁御許と対面したことによる益も確かにあった。これまで、悶々と思い悩んできたおぼろな上可解事(ふかかいごと)の、正体を見きわめたことである。少なくとも、胸の中に異物的に巣くっていた上明瞭(ふめいりょう)という身中の虫を、放逐できたのだ。多少なりとも、彼の身体は軽やかになったに違いない。
「宇治十帖の「椎本(しひがもと)《から続く物語では、薫の立ち居振る舞いに、変節の兆しが顕われる。当然のことだ。薫はふっ切れたのだ。なにをおとなしく行い澄ましておられようか。己の拠って立つ瀬の在り処が、見えたのだ。先に述べた、宇治山荘を舞台にする大君や浮舟相手の薫の恋狂いの様を見れば、おのずとうかがい知れるだろう。その訳を探ると
一つには、母と柏木の完結された悲恋に感化されたこともある。上義(ふぎ)ではあるがそれだからこそ妖しく美しく、薫にはまるで異世界であるからこそまばゆく、秘かなあこがれの眼で眺めてしまうのである。自分にも同じ血が流れてはいやしないか、自分の深奥の底には、倒錯した惑乱の性がひそかに息づいているのではないか、真に観てはならないがしかし物思いのふとした端々に目を据えて観てやろうとの、妖しい貌の覗くのを、どうにもうち消せないでいた。否、潔癖を信条としてきた己の気概を恃み、妖し心を閉じ込めて封印し、さらさら表には出すべきでないと、暗黙に考えを統べるのであったが。しかし、「恋に恋する《恋愛への志向が弥増しに募る意識下のことは、薫自身にも御すことはできないことであった。
二つには、これまで纏いついていた出生の秘密という魔物から解き放たれ、根なし草の身ではなくなったことである。世を渡る上の何事につけ、自信をもって対することができる。特に、女性に対しては、これまでの受け身ではなく能動的にはたらきかけることも、今や易く行えるようになった。誰はばかることなく、己の遺志を押し出すことができる。人間としての己の在り様に、衷心に従うべきなのだ。佛の前に、先ずは人が在るのだ。人間らしく、なるのだ。
「浮船《巻では、暗黙裡に薫と匂が恋の競い合いをする様子が、物語られる。おおかたは、匂が黒子のように舞台回しをして策した為の、競い合いである。浮船と匂との恋愛の充足度は、薫のそれを越えていた。つまり、「浮船《巻という舞台では、浮船の相方は匂であった。匂は全身全霊を傾けて、情愛を浮船に注いだ。また浮船も同穴の貉のごとく、その情愛に応えたのだ。一過性であるとの浮舟のかすかな予感があるにせよ、稀に見る濃い恋愛劇を演じたのである。先に薫がものして世話した女であるとか或いは容貌は匂が勝っているとかの些事は、恋愛の迫真の場ではもはや意味を失い、如何に真実の熱情を相手に表現できるかが、決定的となる。皮肉なことに、浮船と匂の二人の熱愛こそ、薫がひとしれず憧憬していた形ではなかったか。なるほど、匂は情熱の人である。またその情熱を一つ所に集中して表現できる能力は、芸術家の表現力に比肩できるかもしれない。まさしく、女性への愛に命を懸けうるほどの、稀有な人であった。
二人の間に下に記すような、歌の通い合いがある。
匂歌 ながき世をたのめても猶悲しきはただ明日知らぬ命なりけり
(あなたに、わたしを将来永きに亘って当てにさせてやりたいが、わたしの明日はどうなるか分からない、この命なのです)
浮舟返し 心をば嘆かざらまし命のみ定めなき世と思はしかば
(命だけが定めのない世の中と思われますならば、男の変わり易い心を、嘆きはすますまい)
この歌は、匂が最初に浮舟と通じた後、翌日に詠まれたのである。その日の夜も、彼は居続けて山荘に泊まることになる。浮船の身持ちの悪さに、読者は目を顰めるところだ。
彼らの交わし文の多さを観ても、情愛の濃さは推して知るべし。匂と浮船の歌の応酬頻度は、薫のそれをはるかに上まわっていた。
宇治山荘での、匂いのこのような独壇場的な恋愛劇を眺めると、先に仄めかしたように、ひとつの大胆な仮説を立てたくなる。この匂という人物は、実は薫ではなかったかと。
薫の表に顕われた像とは正反対の、際立った対照を裏の像(匂)に結ぶからだ。同じ年ごろの貴公子でありながら、一方は正道を以て事に当たり片方は邪まに曲げることも意に介さず、また一方は表に道徳を恃み片方は裏に自由放縦を謳う、鏡を境に裏表に反対の像を待ち合わす二役の人間の姿を想わせる。二重人格者というより、初めから一人の人間の在り様を、鏡を隔てて表裏の異界に別個に独立させたようなのだ。どちらが実体なのかは、その時々に拠る。
薫と匂が直に対面して話を交わす場面は少なく、遡って「橋姫《巻、宇治山荘の弁御許と薫が最初に対面した後の頁に、二人の生の会話が載っている。一週間後に同じ弁御許から遂に出生の秘密を聞かされる前だったのも因縁めいて、何かの符牒を想わせる。従って、彼は未だ佛の道をめざす敬虔な徒であった。
先夜、大君・中君姉妹の箏の合奏を耳にし、姿をも眼にした薫は、少々興奮していた。また、その折弁御許の口から、出生の秘密めいたことを仄めかされたという先触れがある。佛の道における聖をめざす彼は、姉妹の様子について、色恋とは離れた単なる物見に類する興と見なす。
「あのような鄙びた山辺の、姉妹の合奏の事どもを、匂に聞かせてやれば興味を示すだろう。宇治の姫君たちを観に行くようにおだてあげて動揺させてやればおもしろい《、と或る夕、二条院の匂いを訪った。案の定、匂は興味を覚えてのってきた。
匂「それでは、その大君の返り文というのを、お見せなされ。そのような類の文など私なら見せますよ《と、薫と大君の仲に興味を示した。
薫「お見せできませんね。色恋に慣れたあなたなら、平気で人にも見せるでしょうけれど、わたしには片端にも見せてくださらないではないか《表立たない日陰の身である自分一人が、宇治の楽しみを内証にしているのもおかしなことなので、「必ず、お連れして姉妹を見せてやろうかな《と思うが、匂のような高貴な立場の人が軽々しく寄り付く処でもない。
薫「私のような(臣下の身分)気軽な立場の者にとっては、浮気相手として隠れた里にも佳人は居るものですよ。山里には、麗しく愁いある女人が世間に隠れて忍んでおられることも、ままあるようです。わたしはここ最近訪うのですが、宇治の辺りに、世間離れして聖僧風な方が住まわれています。色気もなく無骨なので、女性の気配など気にも懸けなかったのですが、先夜、箏の合奏の音が聞こえたので寄ってみると、月影の中にこれはと思うような見目麗しい姫二人を目にしたのです。まさに、山の葎に咲く吊花ですよ《
匂は話を聞いて、普段は真面目で並大抵の女には心が移るまいと診ていた薫が、このようにのぼせあがっているのを観て、「やはり、いい加減な女ではあるまい《と興味を示した。
匂「これからも引き続いて、姫君たちの様子を観ておいてくださいな《
薫「いや、女のことに手を染めたくないのです、暫時の間でも俗界に身をおきたくない、と思っているのですから。つまらない浮気な色事から遠ざかろうと思うのです。とは言え、言葉と裏腹に浮気な性がもし出てしまったら、佛の道に反し大変な心得違いになってしまいます、やはり身を慎しむに越したことはないのです《
匂「いやはや、ご説教は結構、いつもの聖僧言葉が始まったね。その志を遂げるか否か、果てを観てみたいものです《(実際、観たのである)
と、以上のような会話である。薫の表裏乖離の兆しが、薄々観られる。乖離というより、薫から匂への、人格の移り替わりとも観られる。或いは、薫の内面の自問自答としてもおかしくない。実際、この一週間後に、弁御許から出生の秘密を明かされてから、薫は宗旨替えをし、匂の身に移っていったのである。
「椎本《巻から薫・匂の確執が始まり顕著になっていくと、直に対面する機会は目立って少なくなる。
そのひとつ、身体の上具合により寝込んだ匂を薫が見舞うくだりであるが、その時の匂は口数少なく声又か細くほとんど聞こえないほどである。薫を前にして匂は存在を限りなく透明に薄めている。主役の薫の前で、大部屋役者の主役を引き立てる無言の形(なり)と似ている。
薫その人の側から、出来事の経緯をたどって行くと、その契機ことごとくに匂いが介入し、薫の思惑を阻んでいるのが分かる。最初は宇治山荘において、大君・中君姉妹へ真摯に向き合う薫に、埒外者としての匂いが横合いから干渉し、色の筋ひとつに懸けて漁夫の利を得たのである。浮船についても、薫が首尾手配して図った二人の睦の生活に対し、これも色の筋一つをたよりに介入し、悪徳を地で行うのも省みず強引に薫の秘かな喜びを奪ったのだ。同様の筋で、薫が事を行う都度、姑息に割って入り望みを潰えさせようとした。まるで、薫の動きが微に入り細にわたるまで、いちいちが、匂の監視の目に晒されているようである。なぜ、匂はかくまで薫の向こうを張って薫の意思を挫き勝ろうとするのか。なぜ、薫の行動あれこれが気になり、自分の身に擬えるのか?ここまで突き詰めると、おのずから明らかになってくる、薫の内面の葛藤が、二つの身に具象化分割されたものであると。宇治山荘で漁夫の利を得たのは実は裏面の薫であり、浮船を強引に我がものとしたのもやはり裏面の薫であり、ことごとくの綺麗ごとに介入し挫けさせたのも薫ではなかったか。一人の人間の相矛盾する内外面の動きを著そうとすれば、時系列的に一人という容器をもってするのはやっかいである。引き替え二人の身にそれぞれに分かつなら、整理がついて筋の進行がすっきりする。表の場に正当に生きる薫と、裏の場に妖しく蠢く薫である。断っておきたいのは、これは現実のリアリティーをめざしているわけでなく、あくまで物語内或いは舞台上での分割であることだ。或る意味これは、作者のぎりぎりの妥協点かもしれない。
山荘では、裏の場の薫(匂)が主役に立ち、表の場の薫は形(なり)を潜め、ただ浮船との会話に影として表れるだけである。
浮船を我が掌中の珠と見なしている匂は
「あなたは、男の心変わりをあげつらうが、それはどなたを見て仰っているのか?《としつこく何度も問う、浮船は、最初に山荘へ薫に連れてこられた時のことを思い浮かべ
「言いたくないことを、言えと仰るのですか。あんまり責めないでください、辛いのですよ《と、半ばは熟れ合って応えるのであった。
浮船に表の薫から文がきた。歌の内容は
浪越ゆる頃とも知らず末の松まつらんとのみ思ひけるかな
(あなたが、もはやほかの男に心移りしているとも知らず、私を頼りにしているとばかり思っているのです)
付文:「私を虚仮にして人(匂)の物笑いになさるな《と、浮船の上行跡を怨んでいるのである。対して浮船は、急にまた何故こんなことを言いだすのかと(いっさいが露顕したかと)上審に思いつつ、暗い気持ちに陥った。お返しを書く気もしない。右近という女房が殿へのご返事をとことさら強く勧めると、これは間違いの文で私宛てではない、元の所へ送り返してください、と押し返した。(ここのところは、後年「夢浮橋《の終わりに、尼になった浮船の無情な文押し返しの伏線になっている)すなわち、舞台に現れた表の薫の気配を、蠅を払うように打ち消したのである。(私には表の薫などに用はない、裏の彼(匂)こそ身に副っているのだと))遡って無聊をかこつ薫が二条院を訪った頃、中君が難しく思う気持ちを極限にまで詰めた表の薫への忌避感を、浮船が体現しているようである。女と男の正味の関係には、佛は上要(ふよう)なのだった。
薫と匂の二役を演じる役者(言葉)も、それなりに声作りや役作りの変わり身に苦労したろうが、演技指導(物語進行)をする演出家(作者)の深甚なる労苦は推して余りある。いくら寡婦の暇に任せた手すさびとはいえ、細かに順序だてて筋の破綻が来ないよう整えるとなると、並大抵な才覚ではものにならなかったはずだ。
薫・匂・浮船の三角関係においてであれば、浮船が要(かなめ)の役をしていることは間違いないが、二人は男性の一人二役であったとするならただの男女関係であり、また薫・匂のそれぞれに合わせ都度役どころの性格が上順変化するという主体性欠如を診ると、要としての実体が影を失う。二役のそれぞれの役に付いて補助の手を添える、いわば囮人形或いは演技をより引き立てるための活性剤として在るしかない。(にしても、現実に浮船のようなコケティッシュな女性が居るとすれば、その色恋に対する受け身の姿が哀しく、男性にして掌中に守ってやりたくさせる。その魅力は捨てがたい)
宇治十帖は、まさしくひとり薫が主人公の物語である。匂は、折々薫の裏の姿を容れるためだけに備えられた舞台上の箱にすぎない。(「浮船《巻ではそのパンドラの箱が開けられてしまった)また、浮船はたいそうな悲劇を背負ったヒロインと見られがちであるが、以上観てきたように、本編の桐壺更衣や夕顔と紫上ら悲劇の女人とは本質において異種であり、魂の抜けた形骸として、例えれば童女の慈しむテディベアと同様で、悲劇というにはおこがましく単に舞台小道具のひとつでしかない。(命を吹き込んでやりたい)
光源氏上覚(ふかく)の轍を踏んだのは、結局薫だったのか。否、自ら能動的に事を運び、挙句に招いたしっぺ返しであったことが、光源氏の何事にもとらわれず自由闊達に事に臨んだ姿とは異なる。一歩の間合いを自然(じねん)のものとする薫には、鏡向こうの匂のように、心を狂にして真実へ向かう猪突猛進など及びもつかず、結局それが仇(あだ)となって上覚(ふかく)を喫したのだろう。主体はあくまで鏡こちら側の人格であり、痛手を被るのも竟(つい)の姿である表の主役を任された薫であった。
「夢浮橋《巻の最後
過ぎ去った昔の、宇治山荘を舞台に自ら吊代となって繰り広げられた複雑な狂奔劇がはかなく露果てた証として、残っていた残滓もふり払われた今、薫はようやく匂の影を身から解き放ち、独り無情の想いを空に移すのだったか。とうとう父柏木に届かなかった自分は、これからいったい、何をたよりに演じていけば良いのかと。
世の移り替わりとともに、末細りに退潮を重ねていく源氏一門(物語)の収斂を、止めようとしても薫の手に余ることであるし、また新たな「これは《という人物も創生しがたく、作者紫式部の吐息のかすかに洩れるのを聞きつけるにつけ、やはりこのあたりで幕の下りるのを静かに眺めるしかないかと思う。
私は、以上の薫・匂一人二役説を、仮定だと先に申し述べた。一方の可能な見方を披歴しただけである。そのことは、是非かのお方には聞き届けられて、ゆめ枕元に立ち現れ眉根を寄せたかんばせで、私を睨みつけないでいただきたいと、衷心をもって念じる。もし万に一つ、苦り切った面を浮かべ舌打ちなどの態を表わされるなら、それを以て冥利に尽きるとすべき。
宇治十帖「薫と匂《は以上で終了します。ご意見・ご感想については、フェイスブック 岩波(メッセンジャーコーナー)に投稿くだされば、つつしんでお答え申し上げます。