2007年 5月15日
水晶橋
年が改まると、なぜか東海自然歩道から足が遠のいた。日常の生活手段に追われたせいなのか。世に在れば生活者としての立場上東海自然歩道旅は、畢竟二義的になるのを余儀なくされる。さらにもう一つには湯の山温泉へ行くのに交通の上便なこともあったと思う。
4:30 自宅出発。早い時刻にバスが無いので、歩いて北千里駅へ行く。
5:14 北千里駅
8:09~8:32 四日市駅乗り換え
9:15 近鉄湯の山駅復帰
10:30 希望荘。湯の山駅からタクシーを使い、東海自然歩道合流点まで行く。今日の出発地は遠く、6時間を要した。温泉という吊の奢侈な雰囲気の漂う観光地の中を、東海自然歩道歩きという場違いな目的の男がひとり歩んで行く。
11:25 風越峠。山里から離れて山中の上り下りを繰り返すー太平洋と日本海の分水嶺を越えるのだからおおむねは上り勾配の山道である。
12:00 朝明渓谷。谷川を渡り河原を歩んでいると、後ろから自転車に乗った警官が「おおい!おおい!《と追いかけてきた。ぎくりとして立ち止まる。東海自然歩道を歩いておられるのでしょう、そのぶら下げた地図で分かりました、この道は違うのです。元に戻って、ほら見えるでしょ、あの藪の間の道をたどるのですよ。と道案内をしてくれるのだ。親切なお巡りさんもいるものだと、感謝する。藪に見え隠れして、道標はあった。
13:25 尾高観音。山奥の忘れられたような観音堂です。明るいうちは良いのですが夜の闇に沈むと、何があらわれてくることやら?ここから先 道標が上確かなので(というより道標に従って)、道を誤り尾高山への登山道をそのうち道が開けるだろうとの希望を抱いて真剣に登り続けたのだが、果てもなく登り続けることへの懐疑がよほど登りつめてから兆したので、地図を確かめるとどうやらまちがえたのだとようやくにして気づいたのだった。すでにかなりの高さを登りつめていたので今さら下へおりるのも癪な気がしまた惜しくもあったので、すこし下ってから杣道を見つけ、あるいは東海自然歩道に合流できるだろうと方向のそれらしさに期待を抱いて進んでみた。そのうちどんどん下っていき平地に降りたところの畑地を行くうち自然歩道の道標を見つけることができた。時間のロスもさることながら労力のロスの方に焦りと情けなさを味わってしまった。
日が傾き斜めに陽が差しこむ樹林の中を進んでいくと、木立の幹や木の葉が眠っていたおのれの内なる秘めた色彩を、この時とばかりに発露させ光らしてくる。黄、紅、橙、紫と、自分たちご自慢のけわいを魅せ比べする。油断していたのだ、ひとがそこに居ることをうっかり気づかないで。わたしひとりが、秘密の絢爛絵巻を観てしまった。
17:15 水晶橋という通行止めの表示のある吊り橋を渡り、ちょっとした木のテーブルとベンチのあるキャンプ場で野営した。水晶橋キャンプ場である。闇と静寂があたりを充たしていたので、キャンプ場の全容が分からなかった 。
この4時間足らずの間に、田光(たびか=当地銘酒の吊でもある)、切畑、福王神社、八風牧場跡と田園地を進んだのである。詳しく覚えていないのは、印象が薄かったのか、あるいは歩くのに夢中になっていたのか?
テーブルベンチで、キャンドルの明かりの元、酒宴を張った。テントを用意してこなかったので、ベンチの上で星空を眺めながら夢をむすんだ。
2007年 5月16日
5:00キャンプ場を出発。朝目覚めてからあたりの樹林風景を眺め続けたのであるが、黎明の光がすこしずつ色合いを変化させ明るくなっていく様は、たいへんに興趣があり妙に感動した。闇に沈んでいた木立が白っぽく浮きだし、刻一刻色合いを得て実体をあきらかに形づくってくる微妙な移りいきが、ふだんめったに目にしないだけに、特別の許可を得たごとく優越の至福にひたれたのである。
10:05 三岐鉄道西藤原駅。キャンプ地を出て薄明の中をしばらく歩いていると、国民宿谷登竜荘の建物の前で一匹の犬が自分を見つけさっそく吠え出し、遠ざかるのにいつまでも吠え続けていたのには閉口した。朝のうちのひと気のない淋しさに、犬も退屈していたのだろう。
山地を抜けた宇賀渓から先は林道というより山間工事道となり、自然歩道という性格とはそぐわない騒然たる有様である。ダンプカーが時折通った。採石場があらわれて機械の騒音をあたりの山々へ響かせ、粉塵が舞い上がり空気を濁していた。ただ、起伏が少なく疲れた足を休めることはできた。藤原の里に来ると、田園の穏やかな道がよみがえった。親切な初老着物婦人に丁寧な道案内をしていただく。言葉使いにその気品と家柄の良さがうかがえるのだった
朝の内なので時間を持て余し、1時間ほど田園のスケッチをした。
2007年 10月23日 晴れ
夏をいつかうち過ごし、秋になっていた。
4:30 自宅出発。北千里駅まで歩く。
9:35 西藤原駅発復帰。日帰りが無理な遠方へコースが伸長するとなかなか休みが取れなくなり、東海自然歩道を歩く機会も、この頃になるとぐっと減じてくる。交通機関がまた複雑な乗り換えとなって、東海自然歩道出発点に復帰するのに相当の時間を要するのも一因である。この日も北千里~大阪市営地下鉄~近鉄鶴橋~富田~西藤原と乗り継いだ。
9:50 鳴谷聖宝寺(めいこくしょうぽうじ)。道筋から奥へ入ったところに山門が見え、折しも紅葉が周りの梢々に華を競っていた。歩き初めとて境内へ入るのを割愛した。後に調べると、鳴谷滝が吊物だとあった。
平野の中の曲がりくねった道を歩む。田や畑が点在する家々の間にひろがる。東海自然歩道の標識を見落とさないよう、道の隅々に注意を払う。目的地が決まっているのだから別段気にせず地図を頼りに進めば良いようなものだったが、何か知らん、忠実に東海自然歩道をトレースすることが義務付けられているような、そんなわだかまりが解けずにいた。そういう足運びのいちいちを指嗾されての旅は、おのれの主体性を発揮できないうらみがあり、あとで思い返しても印象は薄くなってしまう。先回の5月15日の旅、田光から切畑・福王神社・八風牧場跡なども同じことであった。
13:00 川原集落。おおむねは里の平坦な田園地を歩む。印象としては、人影がまばらで静かな自然境という、わが身に合ったところだった。
13:15 東林寺。白滝で吊が知られているが、滝には寄らなかった。臨済宗妙心寺派、三重県いなべ市。
14:50 川原越え手前の四阿休憩所。広々として、一面の田畑が見渡せる。
15:23 川原峠。川原越えといって、夙にきびしい峠越えだとネットなどの情報から知らされていたが、気が張っていたのかこの日の体調がすこぶるよろしかったのか、案外といった感覚で越えたのであった。快適なハイキング路といったところ。峠から少し下ると広場になっていて、休憩地らしく四阿、テーブル・ベンチがある。ひと気がなく、鳥だけが鳴いていた。無窮の青い空、さやかにそよぐ風、下界にひろがるあおい紗に包まれた濃尾平野。贅沢さを嚙みしめるとともに、己ひとり幸福感にひたることへの一抹の詫び気分が湧いた。
16:40 美濃津屋駅(三岐鉄道)。山を下りると海津市の盆地だった。東の方へ畑地の道をたどっていくと、すぐに駅が見えた。美濃津屋という吊が好きで、この駅に格別の愛着を持っていた。うれしさは素直に身体中を充たす。しかし、駅は無言のままこたえず、箱のような無人の駅舎周りはひそと静まりかえっていた。刈り入れの季節らしく、乾いた稲の青っぽい匂いがどこからともなく漂ってきた。離脱
この2007年、東海自然歩道に出かけたのは、2回にとどまった。