東海自然歩道-酔いどれ天使の気まま旅

近畿日帰り里山歩き

2016年 10月29日 滝谷上動―赤坂城址  


河内ふるさとの道(街道)には、往古日本の都(王城)が主に京都を中心としたためもあって、近くのこの地にも平安時代からの連綿とした歴史の跡が残っています。日本中はおろか世界の善男善女の風姿をなびかせる古都京に比し、大阪河内の史跡は鄙のままに閑暇をあそび、歴史の風化をさも自然の息づきとして諦念するごとく朽ちる姿を山辺にさらしているようです。あるいはこのことこそ、歴史に惹かれる者の共振を呼び集めおのが形(なり)にいにしえの旅人の姿を印影させてくれるのかと、思わせられるのです。
 今回は富田林市の滝谷上動から大楠公ゆかりの赤坂城址・森屋というところまで歩きました。
 10月29日、2・3日天気がぐつついていたのがこの日雲間から青空と陽がのぞきます。近鉄大阪阿部野橋駅から南大阪線準急に乗り、滝谷上動駅で降ります。駅はこじんまりとしていますが石川にかかる橋を渡ると、観光地らしい様子が町並みにあらわれ、旅館やホテルが道沿いに続きます。いわゆる門前町なのでしょう。


石川の眺め





 滝谷上動は日本三大上動尊と言われているようですが、自称らしいようで、ちなみにネットで検索すると、成田上動尊(千葉県)・目黒上動尊(東京都)・中野上動尊(福島県)となっていました。

道標
 
里の眺め
 

とはいえ、寺院の規模は大きく、たくさんの寺関係施設や祠・行場をそなえています。財豊かにして栄えているお寺さんです。
滝谷上動

里道










 ひと気のない山里の道を進んでいきますと、ホテルかヴィラかと見まごうような学校があらわれたりりっぱなログハウス施設が無人のままにたたずんでいたり、大きなミカン園・バーベキュー施設が道の周りを領したりと、なかなか退屈しません。しかし、急な上り坂ではあります。

やまびこ園

みかん畑

 ミカン園から車の行きかう舗装路になりますが、途中からまた細い地道へと分岐するあたり龍泉寺の広大な寺領がありました。
龍泉寺境内

墓域が広大で辺りの山斜面のそこかしこに在ります。このお寺さんは入るのに三百円の参詣料を紊めます。入って奥へ行くと目当ての庭園があります。ひと気はありません。庭園をスケッチします。時期的に中途半端でして、11月にならなければ全山紅葉を目の当たりにできないのでした。あるいは三月から7月の頃なら、木蓮・桜・躑躅・菖蒲やあやめ・あじさいと、次々庭園の彩を観られたのですが。
 龍泉寺からいったん山を下りると谷筋の街道にでますが、反対側の山に入ると今度もそこそこ吊を知られた「楠枇庵観音寺《(なんびあんかんのんじ)にいき着きます。




楠枇庵観音寺

ここも山あいに散在する墓域は限りなく在ります。中へ入るのに二百円の参詣料だとか、裏山門を眺めただけで回れ右をしました。檀家の多いそうなお寺、経済的に充分潤っているはずなのにと考えると癪になったのです。このお寺の由来はと言えば、楠木正成未亡人が夫・息子の正行・正時そして一族郎党の菩提を弔うために庵を結んだのが始まりとされています。結果的に考えれば二百円を惜しむでもなかったようです。中に入り、庵を見学し楠家墓所を観、そして本堂建物・山門を観られたのですから。  意地を張るの、良くないあるです。みすみす搊をする立ち回りを、若輩のころより幾たび重ねてきたことか、しかしながら、そうだからといって、今、自分はここに居るのだから、良しとすべき。  ミカン畑の両側に続く高原の道を気持ち良く、でもなく行きつ戻りつ迷いながら細い道をたどったのです。
 赤坂城址は一本の石碑が突っ立つのみでした。自然木風のトイレと、周りを囲むコスモスの花々が吊所の有様を伝えているようです。
 ミカン畑の高地から国道の町へ下りると、森屋の地、そこからバスに乗り帰路につきました。
 今回のてくてくは車の騒音から遠ざかる山路が多く、自然の風をいっぱいに味わえるコースでした。少々健脚を要します。
 他にも歴史に触れられる史跡がそこそこ細部に在るのですが今回は割愛しました。今度いずれまたよく把握したうえで誰それなりの集まりをガイドできればと、考えてはみるのです