東海自然歩道-酔いどれ天使の気まま旅

東海自然歩道-酔いどれ天使の気まま旅

2016年9月30日 金胎寺再訪―東海自然歩道その後

地図  2016年9月30日(金曜日) 青空に雲浮かび、晴れたり曇ったり。
自宅 豊川住宅前バス停発6:05→京阪淀屋橋7:22→同中書島乗り換え8:05→  京阪宇治駅8:22 ここから徒歩出発→白山神社9:40→くつわ池11:00→ 栗栖神社12:00→地福谷ふるさとの森12:45→鷲峰山金胎寺14:00〜15:00→ 原山バス停16:00→バス発16:37→JR加茂駅17:10 

今日の山歩きには、10年前に東海自然歩道歩きを始めた折、コースを踏破することに拘りぞんざいに見過ごしてしまった鷲峰山金胎寺の印象の空白を、あらためて確かめることによって埋めようとの目的があった。

宇治駅"  宇治駅 

京阪宇治駅前は、平日とあって人々ののんびりと行き来している様子が、前日までの雨天から脱け出たような空の青と日差しに、明るく映っていた。
久しぶりの青空だった。宇治川右岸の、茶の店などが並ぶ石畳の静かな道を上流へ歩いていくと、対岸の平等院へ渡る赤い欄干の橋袂に来る。宇治川増水ということで橋は通行止めだった。やはり、東海自然歩道の標に副って進む。東海自然歩道コースである仏徳山(笠取から石山寺方面)への分かれ道も確認する。確かに川の奔流はまるで生き物の気を宿しているかのような凄みがある。ひとの走るより流れは速いだろうか。水は太い束になって上下にのたうっており、場所によっては深く渦巻いている。いささか競泳の経験があったけれど、こんな流れでは自信は揺らぐ。こんな濁った流れでも釣り竿を垂らしている人を何人か観た。あるいはこんな濁流の方が釣りには絶好の条件なのだろうか?左手に瀟洒な和風旅館や料理屋なども3・4軒たたずんでいた。日がな一日、のんびり滞在するのも佳いかな、と思うが、いつの日に実現できるのやら、模糊としておぼつかない。
10年ぶりなので、細部は初めて見るように新鮮に映る。

吊り橋 天ヶ瀬吊橋 白虹橋

上流へ歩いていくと、東海自然歩道の標に導かれるまま川べりに下りていき、天ケ瀬の吊り橋(白虹橋)袂に出た。奔流の真上を、吊り橋で左岸へ渡り、右へ下流方面へと折れる。逆戻りするように平等院への方角だったがしばらく車道脇の歩道を進んでいくと、左手の森に藪に見え隠れして東海自然歩道の分岐点があった。10年前は、この分岐点を見落とし、先の舗装路分岐を辿ったのだ。

白山神社への谷道 白山神社への谷道入口

暗い湿気た沢通しの山道だった。道は処々で冠水したりぬかるんだりしていた。別荘らしい朽ちた廃屋とジープの残骸があった。この谷間の所有権などがどうなっているのか、少し気を引いた。谷の左岸を登り切ると家屋が数軒並ぶ台地になった。先へと百メートルほど進むと、白山神社入口門があった。門の向こう側は里道が通っている。10年前、入口門を横目にその里道をたどったのだと、記憶がよみがえる。

白山神社山門
白山神社山門

入口門へ行く途中の畑地の間に、北方向への東海自然歩道分岐点標がある。少し行くと、すぐに白山神社が左手にその入り口を示していた。石の鳥居があり謂れ説明看板がある。森の上へと石段を登りつめると、白山神社境内に入った。古く少々傷んでいるが、立派な拝殿がある。白山神社とは1104年に造営された(今は無い)金色院の鎮守社として1146年に創建されたと、謂れ文の説明にある。拝殿は宇治離宮の遺構ともいわれ、方三間単層四注造茅葺で鎌倉中期の様式を示している、とある。手入れをすれば荘厳な見映えを現出させられるようだ、半ば放置されているような有様が惜しい。ひと気はまったく無かった。

鳥居 白山神社鳥居

拝殿 白山神社拝殿

白山神社を後にしてくつわ池へと向かう。二ヶ所ショートカット気味の山道を通るが多くは車の走る舗装路をたどる。このあたりは10年前と同じだった。途中、地元鶏卵の大きな規模の直売所があった。朝どり卵とかしわを売っており、その方の業を営む方や一般でも鶏にこだわる方には、情報の一助になるかと思う。 くつわ池入口(公園様になっている)附近は峠になっていて、東海自然歩道の休憩所四阿がある。入口ゲートは閉ざされており、ここも利用者の姿は無論無かった。

金木犀 金木犀

郷の口へと車道を下っていくと、はや金木犀の咲いている一叢を観る。でも匂いを気づかなかったような。 郷の口、国道307号線との出合い点。道路が大きすぎるのか、東海自然歩道の標はこの付近にも南へ国道をたどっても杳としてその在りかは知れず、地図をたよりに国道を南東へ1キロ余り進んだ点の62という名の西北への道を選ぶ。極端に車両の少ないまた歩行者ともめったに出会わない道だった。途中であった人は、20代後半のおねえさん(道を尋ねたが鷲峰山は不明だという)、ランパンだけを身に着けてよたよた走る半裸の老人、小太りの老婦人(引っ越してきたばかりで土地には不案内)、下り坂の休憩所で体操をする老人(追いついてきて話しかけられたが、やはり皆目ご存じなかった)等など。しかし、この最後の老人はヒントを授けてくれた。この先のドン突きを右へ折れると、和束町方面へ向かうと。 その老人の言う「ドン突き」へ出ると、東海自然歩道の標があらわれた。思うに、郷の口交差点あたりから別の道があったようだ。10年前も、やはり今日の道をたどった記憶がある。
狭い里道になる。いかにも東海自然歩道然という里の生活に密着した静かな道になった。

栗栖神社 栗栖神社

ちょうど正午に栗栖神社に着いた。10年前の記憶からすれば規模の大きなのに驚いた。ちがう場所ではないかと疑ったりもしたが、他にはどうやら無いようだ。10年前石山寺から歩き続けてきた自分は夕方この神社にたどり着き、疲れた身に何とも言い知れぬ茫洋感を味わっていたものだ。境内で、二人の主婦が時間も気にせず果てしないおしゃべりを続けているさまを怠惰に眺めていたという、記憶がある。もう少し小さく寂しい神社だと思っていたが、今見ると建物敷地とも大きく広く、たいそうにぎわっている有様を現に境内に集まる地の人々のなにやら歓談しているのを遠目に眺めて、それと知れた。
里道を挟んだ向かいに東海自然歩道用にトイレと休憩所四阿があったので、昼食のおにぎりを食した。
栗栖神社を後にして、里道を山へと入っていくと、ひと気がなくなった。そして、地福谷へと分岐すると、まったく車も通わなくなった。暗い急な谷間の道を進む。

10年前の野営場所 10年前の野営場所

ふるさとの森へ分け入る地点に着いた。10年前は日が落ちてからようようたどり着いたのだった。長く続く急な上り道に、ふらふらに疲れてどこでも良いからの気分で、この地で野営したのだった。沢流れの朽ちた木橋を渡ると、川の傍にようやく寝床がとれそうな広さの平たい雑草地がある。懐かしい野営場所だ。当時は水の流れもわずかで、水音が気にならなかったのだろう、今はさわがしい瀬音を鳴らしている。当時と違って今はまだ昼過ぎだった。観る様子、気分、明るさ等、若さと覇気の乏しくなったわが身には隔世の感がある。
鷲峰山金胎寺を目指して、さらに急坂を進む。進むほどに坂の傾斜は立ってくる。当時は朝起きぬけに歩いたはずだったが、それほどに急坂の苦労は印象に残っていない。当時の若さのせいかな?
登りつめてかぎ状に折れる地点に来ると、沢から離れ尾根の腹を登るルートになり、格段に傾斜が緩んで進むのが楽になった。登りつめると、湯谷谷への分岐点に上がる。そこから案内表示に従って鷲峰山へと登っていくとまた金胎寺への急な山道への分岐点に出た。10年前を思い出せば、いったんは金胎寺山門前へと行きながらすぐ元のこの分岐点へと引き返し、林道を下りて行ったのだった。

山門スケッチ 金胎寺山門


多宝塔 多宝塔

行者堂 行者堂

金胎寺山門に到着。山門のスケッチをしていると、左手の上からしわがれただみ声がしたので見ると老人が下りてきた。独り言だと思ったがそうでなく、自分に話しかけているのが顔の表情で分かった。よく聞き取れなかったが、上に行者堂があるとか、歩いて来られたのか?とかがどうやら聞き取れた。歩いてきた旨を簡単に説明する。山門をくぐるには300円の協力費を納めるようであったが、別段係の人がチェックするでもないようだった。結局山門はくぐらず、左手の急坂を上って多宝塔と行者堂を見学した。老人は原付に乗って恐る恐る下りて行った。
鷲峰山は標高682m、このあたり和束町では最も高い。金胎寺は、675年役小角の草創と伝えられるとか、722年聖武天皇によって堂が建てられ勅願寺となったとか、いろいろ伝承・記録があるらしい。しかし、1298年に建てられたという目の前の多宝塔は今日まで現存しているものだという。重要文化財である。また金胎寺境内は国指定の史跡となっている。多宝塔と行者堂をスケッチする。下手なのに描くのに時間を費やしてしまい、金胎寺を後にするときには夕方に入りかけの3時になっていた。

和束町の盆地

茶畑 和束町の茶畑

山門から20mほど下りたところに下山路の小道がある。記憶が薄いので、初めて通る道かもしれなかった。山肌を伝い下りると沢道の下山路になった。そのうち和束町の盆地が一望に見えてくる。茶畑のひろがる丘陵地を下る。このあたりは宇治茶の本場であり、また今日ある緑茶の創生された地でもあるという。原山の農家の間を曲がりくねりながら下りて行くと、府道5号線に行き当たり、正面の原山バス停に着いた。ちょうど夕方4時だった。

原山バス停 原山バス停

16:37のバスを待つ間、記録のチェックと補足を手帳に書き込んでいると、黒ワンピースの若い女人が上から下りてきてバス停に入った。食べ物汚れのこびりついた衣服など、総じてだらしない姿だった。背丈は並より高くスリムだったが、下腹が少し膨らんでいた。向かいのベンチに腰かけるとソックスを掃き替えたりするのだが、膝を高く上げ内腿の奥までのぞかせて平然としているところで、その奇異さに気づいた。時折言葉にならない声をあげる。当然、会話は無かった。気の毒に思えたが、どうにもならぬ。バスが来るまで見守ってやるしかなかった。蚊に食われ、腕や足首が痒かった。女人もしきりに足首を掻いていた。
バスはJR加茂駅が終点だった。くだんの女人は途中の停留所に降りた。駅前のローソンで缶ビールと鶏のから揚げを買い、イートインコーナーで食す。から揚げを噛むとき、前の下歯を一本折ってしまった。歯周病のせいで、もともとぐらついていたのだ。
夕刻とはいえ、青空は掻き消えどんよりと雲が垂れ込めた。暑気はまったく去ったが空気が蒸した。10年の老いをあらためて実証してしまったような一日が、大阪へ向かう列車の動きとともに、終わろうとしていた。